人力車、野菜、ダイバーシティ / 第4回超分野大喜利開催レポート

人力車、野菜、ダイバーシティ / 第4回超分野大喜利開催レポート

大喜利。

投げられたお題を、ひねりを効かせた一言で打ち返す、爽快なあの演芸です。お茶の間でよく見る、お笑い芸人や落語家によるとっておきの一言も良いですが、それを様々なフィールドからわらわらと集まった研究者たちが行ったら……?

実現しました。それが、「超分野大喜利」。京都大学の大学院生を中心に運営されている超分野大喜利プロジェクト主催のもと、大学院生、大学院を卒業した若手研究者・社会人が膝を突き合わせて(オンライン)、3時間に及ぶ知的攻防戦を繰り広げました。

お題は、「複雑な問題や正解のない問題に向き合うために、なぜダイバーシティが必要とされるのか」。

ダイバーシティ……近年、まばゆいスポットライトで抜かれるキーワードの一つです。ここまで注目される所以は、すべての人間に関わるテーマであるからではないでしょうか。日々職場、家庭、教室などなど、共同体から共同体へとはしごしながら生きる人間。共同体の根本に刺激を加えるこの言葉が、気にならないわけありません。

しかし、今回の記事のタイトルは「人力車、野菜、ダイバーシティ」。フレッシュな好奇心を燃やす、若き研究者たちのぶつかりあい。そこらで目にするダイバーシティ談義とは、少し様子が違います。

今回は、超分野大喜利の第4弾。総勢22人が参加し、3グループに分かれて「お題」について考えました。この記事は、MAJIME ZINEが密着したグループの議論をレポートしたものです。末尾には、第5回超分野大喜利のお題も紹介しています。ぜひ最後までお付き合いください!

お題「複雑な問題や正解のない問題に向き合うために、なぜダイバーシティが必要とされるのか」

話題提供 辻田 俊哉 先生 (関西外国語大学英語国際学部准教授)

私の研究対象であるイスラエルはパレスチナ問題などの様々な問題を抱える一方で、2000年代後半から「スタートアップ・ネーション」と呼ばれるようになりました。イスラエルのスタートアップ企業のイノベーションの源泉はダイバーシティにあると言われています。イスラエルではみなさんが思い浮かべるような様々な問題とダイバーシティによって生まれるイノベーションが共存しています。私はこの現状を簡潔に説明することが難しい1つのパズルだと考えています。このことが私がダイバーシティに着目するようになったきっかけです。

今日はダイバーシティに関する最近のキーワードとして、「DEI (Diversity, Equity, and Inclusion)」を紹介します。

Diversity (多様性)

ダイバーシティは多様性を意味しますが、言語、性別、人種などの目に見える要素と価値、宗教、文化などの目に見えない要素の両方を含みます。そのため、ダイバーシティを定義するということは難しいのですが、最近は「思考の多様性」として、いろいろな考え方がある状態というイメージで捉えることが多くなりました。

Inclusion (包摂性)

2010年代中頃から多くの日本企業も使うようになった言葉としてD&I (Diversity and Inclusion)があります。ダイバーシティが注目された結果、色々な人が集まる環境ができるようになりました。ところが、そのような環境から新しいアイデアはあまり生まれませんでした。その反省として、集まった個々の人々の違い(思考の多様性)をどのように活かすかということが問われるようになってきました。

Equity (公平性)

Googleなどの企業が最近使っているエクイティ。組織内の全員に均等に機会を与えようとする平等に対して、それぞれの個性を考慮した機会の提供を目指す公平性がD&Iの達成のために必要であると言われるようになりました。そこで、D&IにEを加えて、「DEI」を推進することが最近の流れとなっています。

ダイバーシティの効果として、学際的なチームがイノベーションの創出に効果的であるということや年齢、性別や出身地がバラバラな人々で構成されるチームの方が仕事の成果が出やすいということが調べられてきました。その結果、ダイバーシティ推進がポジティブなものとして捉えられている一方で、自分と違う人の意見を受け入れるのは難しく、時間もかかるため、ダイバーシティの推進がもめごとを引き起こしたり、さらには分断を招いたりしたという主張もあります。光と影が存在するダイバーシティ推進の中で、個々の考え方の「違い」を認め合い、受け入れ、活かしていくにはどうすればいいでしょうか?今日は、この問題をみなさんと一緒に考えていこうと思います。

【辻田 俊哉 先生 略歴】

関西外国語大学英語国際学部准教授。

2006年から2008年まで、外務省専門調査員として在イスラエル日本国大使館において勤務。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程修了。博士(国際公共政策)。

大阪大学においてソーシャルイノベーションに関する教育プログラムを開発・運営した後、現所属先において、異文化環境下で社会課題に取り組む際のチームワークや協働(異文化アジリティ)のあり方を模索中。

参加者

ばみ:大学で心理学を専攻している心理学オタク。来年度からは大学院への進学が決まっており、教育や産業分野への心理学の応用の研究をしようとしている。「人とは何か」について生物的・歴史的・社会的側面から考えるのが好き。

さつき:超分野大喜利運営担当者。専門を日本女性史、比較教育学と渡り歩いているうちに高等教育在学が長くなってしまった。現在はインドのジェンダー教育研究をしている。日頃、時代、国、ことばなど、分野のボーダーを超えることに快感を覚えている。

むかい:野球好きが高じて、確率を現実世界に展開できそうな情報学を専門に選択。なんやかんやでネットワーク理論で修士号を取得。今は転職エージェントをやっており、一貫性のない自分を誇らしく思っている。

ザック:大学・大学院の専攻は経営学。技術・文化・政治・経済とビジネスにどのような関係性があるかを日々考えている。どんな世の中の財・サービスも、「利益・コスト・成長性」の観点から見てしまい、娯楽施設に夢を抱かなくなってしまった自分に悲しんでいる。

おおやま:農業経済分野で主に有機農業について研究しており、島根県の圃場で焼畑農業を実践中。日本の農業をより良くすべく、理論と実践の両面からアプローチしている。好きなことは、美味しいお酒や美味しいものを作り食べること。

りょうたろう:京都市在住の大学院生。専門はマインドフルネスと教育。研究以外の時間ではもっぱら散歩と写真撮影。NPO法人SILs 副代表理事。

くわじま:京都大学大学院総合生存学館教員。専門はイノベーション論、産学連携論、科学技術政策論、(元)X線解析学。「学際性」について、考えれば考えるほど難しさを痛感している。

大喜利の回答

ダイバーシティの必要性について。

辻田先生の問いかけに対し、参加者がペンを走らせます。それぞれ異なる道を辿ってきた彼らは、どんな発想に辿り着くのか。

ザック

「合理的な解決策が無く、多数派だけの1つの意見では解決できないとき、ダイバーシティが必要」

絶対的な答えがある場合は、ダイバーシティは必要ない。専門性を持ってる人が集まってやった方がスピード感をもって対処できます。

多面的で複雑な問題や、利益が人によって変わってしまう事柄を考えるときなど、多数派だけの意見では解決できないときに、ダイバーシティが必要になるのかなと。

くわじま

「普通の発想では不十分だから」

ダイバーシティが「複雑だ」ということはつまり、「普通に比べて複雑だ」ということ。結局、「普通の発想をしたって出てこない」ということの裏返し。今言われてるダイバーシティっていうのは絶対的な視点もあれば相対的な視点もあると思うんですね。

従来だって、ある意味ダイバーシティの濃度が濃い状態だったかもしれないけど、それが不十分だったから、今盛んに「もっと進めましょう」と言われている。だとすれば旧来の価値観のままだと、いつまでたっても複雑な問いには答えられない。なので当然必要だと思いました。

さつき

「その人にしか気づかない視点があるから」

私がいつも思い浮かべるのはインド議会ですね。インドは多党制です。構成人数は1人から数百人まで、2000を超える党が存在すると言われています。それらの党は、カースト制度の下層の人たちを含めて、様々なカテゴリーに属する人たちが集まって形成されている。

「その人にしか気付かない視点がある」っていうのは、「その下のカーストの人たちにしかわからない不満や視点がある。だから取り入れた方がいい」という考え方。でも実は、下層の人たちを排除してしまったら政府に排他的であるという非難が集まるから、インクルージョンしているという側面もあります。

むかい

「過学習を避けるため」

自分は情報学のバックグラウンドがあるので機械学習に焦点を当てました。

機械学習には、訓練データでの事前訓練が必須です。しかし、訓練データで学習をしすぎると実際に処理したいデータを学習する際に、予期しなかった結果が出てしまうことがあり、これは避けなければなりません。この訓練データは、現実を正確に反映できていない側面があります。現実世界はランダム性があって、訓練データから予期しなかったところの事象がポーンと出たりするので、そこにマッチングしていく必要があるということです。

おおやま

「要因が多岐に渡る」

ごく普通のことを言っているだけのようですが、近年複雑になっている「要因」を紐解くには、ダイバーシティが必要かなと思いました。

りょうたろう

「平和な状態を維持するため」

大事なことを決めるグループ(会社内でも国単位でも)にダイバーシティがなかったら、そのグループが決めたものは必ず社会にアツレキを生む。いろんな背景の人がいることで、とりあえずその場の平和な状態を保てる。今日のようなグループでも、会社単位でも、国単位でもアツレキは生じますよね。平和を維持するための工程の一つとして、ダイバーシティが必要なんじゃないかな。

ばみ

「ランダム性が創造的思考を生むため」

心理学では、「創造的思考」という、ランダムな思考から生まれることがあるって言われています。異質なものがお互い受け入れあい、融合したときに、創造性の高い解決の糸口が見つかる。そこにダイバーシティの意義を感じます。

ここからは、具体的な2つの問いでお題を深めていきます。「人力車」「野菜」「ダイバーシティ」は、いつどうやって登場してくるのか……!?

問1「ご自身の研究活動や身近な活動において、ダイバーシティを進める場合、期待される効果とは?また見いだされる課題とは?」

ダイバーシティがもたらす恩恵--革新性

むかい

僕が修士号をとった時の研究は、京都市内の携帯のGPSデータから人の移動を解析して、交通渋滞をなくそうっていうものだったんですよ。

アプローチを考えるときに、「セールスマン巡回問題※」っていうネットワーク理論に落とし込むことを最初に思いついたので、情報系の論文をバーッと読んで、すぐ研究に突っ走ってしまいました。でも、もし「これってこういう問題の捉え方できるね」みたいな新しい発想ができていたら、革新的な展開を迎えていた可能性もあったわけで。それぐらいの革新性が取れたら、ダイバーシティ万々歳かな。

※セールスマン巡回問題:あるセールスマンが複数の都市を一度ずつ訪れるとき、どのような順番で巡回すれば総移動時間(移動距離または交通費)を最小にできるかを問う問題。グラフ理論の有名な問題の一つ。(『デジタル大辞泉』)

Equityの光と影

ばみ

ザックさんは留学経験があるそうですが、留学先で感じたダイバーシティの重要性はありましたか。

ザック

ニューヨークの方の大学に行くとき、色々な大学を調べる中で、学生のパーセンテージが人種ごとに決まってるのかを見ていました。例えばアジア人が20%、白人が30%、黒人が5%なら、「能力だけで見てない、差別をしていない」って思えます。一方で、人種を考慮しない大学は、中国系が80%とか70%になっていました。つまり、大学がダイバーシティを認める場では無くなっているケースもあったんですね。

学生の能力を見るのは大切ですが、能力だけを見た先にあるものが、結果として良いとは言えない環境になってしまうと良くないのかなと思います。

りょうたろう

そういう枠を作っているものとして、「アファーマティブアクション」がありますね。他人種としてとか、女性性別としてとか、従来の社会システムのせいでディスアドバンテージを受けてるグループを底上げするための動きですね。でも、まとまった答えがあるものじゃない。

やっぱり対人関係の上で大事なのって、「いろんな人のものを取り入れて自分のものにできるか」なんです。でもそれは、逆に言えば「自分というものをわかっていない状態で、いろんな背景の人の意見や経験談を聞いたりすると、自分の軸がぶれる」ということでもあるんです。

わかりやすく研究で言うと、自分のやりたいことが固まってないときにいろんな人の異分野の人に意見を聞くと、なびいて結局何がやりたいかわからないという状態に陥るんですよ。その状態ってすごく危険だと思います。

形だけを見ればダイバーシティだけど、1人1人の「個」というものが確立してないまま異分野の人と交わっちゃうと、虹色じゃなくて真っ黒になるみたいなことになりうるのかなって。

ザック

りょうたろうさんは長い間アメリカにおられたそうですが、アメリカでは人種の違いをどういうふうに受け取られてるんですか。「人間はみんな一緒だよ」っていう受け取り方なのか。それとも、「人種は違うけども、その個性がいいんだよ」っていう受け取り方なのか。

りょうたろう

これは人によりますね。でもどっちかっていうと、違いに意味を出すこと〔後者〕だと思うんです。

昔のアメリカでは、黒人差別「じゃない」アピールのために「人間はみんな一緒だよ」ということが強調されていました。でも、今は「色で区別しないから」っていうのは新しい人種差別の一種という認識が主流になっています。「色で区別しない」ってことは、黒人の人たちが負っている負の側面から目を背けていることだっていう考え方です。

さつき

ダイバーシティの存在を認めることと、どう扱うのかということは、別の話なんだよなって考えていました。アメリカのアファーマティブアクションと同じように、インドでもreservation、「留保制度※」っていうのがあります。

※「留保制度」:経済的に後進であるとされる、指定カースト(Scheduled caste)と、指定トライブと、他の後進諸階級(Other backward caste)の人たちに、一定パーセントの大学入学権を与えるなどの優遇を与える制度。

でも、経済的な問題とカーストを分けて考えるのは難しくて、議論は曖昧なままになっています。説明文中の「その他の後進諸階級」の中でも経済的に余裕のある人たちは「クリーミーレイヤー」、つまり「下層グループの中の上澄み」みたいな言葉をつけられています。それによって、待遇が受けられないようにされています。だから、差別を受ける階級であっても経済的に余裕があれば、留保制度が受けられないという矛盾した状況があるのではないかと思いました。

問2 「ご自身の研究活動や身近な活動において、ダイバーシティを進めるためのアイデアや工夫とは?(gainsの創出は?painsの除去は?)」

ダイバーシティの「ゲイン(gains)」(あると嬉しいこと)と「ペイン(pains)」(あると嫌なこと)を整理した上で、ここからは、身近な営みにおけるアイディアや工夫をシェアしました。

人力車にダイバーシティはあるか

ザック

人力車のアルバイトをしてた経験を話させてください。アルバイトをする中で、人力車にダイバーシティは必要でないという結論に至ったんです。

人力車はタクシーではない。「京都にこういうお兄さんがいて、引いてくれる」っていうお客さんのニーズをもとに人力車は存在します。

でも多様化してしまうと業務が成り立たなくなったりする。車夫が女性だと、お客さんが少なくなっちゃったりするんです。女性に引いてもらうみたいなことが嫌とか、力の関係とか。デジタル化を進めて半自動的に観光地の説明をしたらいいんじゃないかって考えたこともあるけれど、それなら別にタクシーで良いということになります。

違う層のお客さんが来るかもしれないというのは「ゲイン」。ただニッチになっちゃうので、利益率が低くなるという「ペイン」があるでしょうね。

りょうたろう

人力車夫って本当にダイバーシティがないのかな?車夫はそれぞれお客さんに注目して欲しいものを紹介するけれど、それはダイバーシティと考えて良いんじゃないでしょうか。

ザック

例えば、お笑いと喋りに特化してる人もいれば、安全確認の正確さが取り柄の人もいます。そういう面では個性と言えるでしょうね。

ただ個性の域を出て、人力車夫っぽくないみたいなところにまで出てしまうと、サービスにならなくなっちゃうのかなと。

りょうたろう

その話、ダイバーシティのレイヤーの話に聞こえて、ちょっと面白いですね。

来たるダイバーシティといかに向き合うか

くわじま

この手の話は、社会学的な視点で考えるとどうしてもみんなマクロスコピックに考えてしまいがちですけど、個人一人一人の問題としてはどうなんだという観点も大切だね。

例えば、人種にしても、人間みんなで仲良くできればいい。でも、国内を見たってね、甲子園では都道府県ごとに高校生が県を代表して戦ったりする。結局、これはアイデンティティをなんとなくうまい形で維持できるようなシステムが出来上がっていたということなんだよね。でも、閉塞してしまって次の成長がなかなか見通せなくなってきた。だから、ダイバーシティっていう概念とか出てきてるのかなって、僕は捉えています。

「なぜそれが課題なのか」、「何を課題にすることで自分たちは何を納得しようとしているのか」、問い直さなきゃいけない。ただ、安定的なシステムを変えていくのには、すごく労力と時間がかかるということを、まずは認識しておかないといけないのかなって思ってます。

ばみ

多様性には、多様性があった方が生存の確率が上がるというゲインがあると思います。多様性がない状態では脅威に対して弱いから。

ダイバーシティを受け入れる方法の中では、対話を通して異質の存在を受け入れることが特に大事だと思います。他の集団を悪く見積もるという「内集団バイアス」っていうのが人にはあります。人は無意識的に自分の属性や性質と違うものを排除してしまうんです。これを克服するには自分の集団とは違う集団の人について知ったり、他文化、他者の存在自体を意識する必要があると考えています。

ダイバーシティは野菜にも 多様な個性、多様な価値

おおやま

スーパーの野菜コーナーに行くと、均一化された野菜が並んでいます。けど在来種は違っていて、形が不揃いだったりします。後者の価値を定義しようとしたときに、ダイバーシティは関係してくると思います。

バイアスをかけるのは大事だということ。在来種とかって、スーパーの立派な野菜と比較すると見劣りしちゃうよね。でもそういうふうにばっかり見ていると、それを価値あるものにブラッシュアップすることはできないはずなので。これは仮説ですが、ダイバーシティの考え方がなければ、そういう価値づけや、活用していこうというムーブメントにならないんじゃないかな。

さつき

在来種とかふぞろいな野菜だけを売る業者みたいなのってあるじゃないですか。それはおおやまさんの言う、「価値づけ」なのかなって。

おおやま

既にそういう動きはありますよね。だんだんと形とかに拘らなくなってきている。多様性っていうのは、 生存本能の一つってことですね。植物の世界でも、突然変異みたいな、原因は解明されていないようなことも起こるので。

りょうたろう

ただ起こるもの、って感じですよね。

おおやま

そうですね。意外とそれが実は美味しかったり価値のあるものだったり、ということもあるんですけど。それはそれと在来種は違うので。

まとめ

「誰一人取り残さない」社会の実現が叫ばれる現在、「多様性を認めること」は無条件に「良いこと」として信じられがちです。しかし、この分野を横断した「大喜利」で、ダイバーシティには、ゲインもペインも含めて様々な側面があることが見えてきました。そして、「ダイバーシティ」と言うとなんだか難しく考えてしまうけれど、実はそれは、生存本能に基づいた至極シンプルなものなのかもしれません。

一歩立ち止まって、その功罪を捉え直してみる。個々人の経験則と異分野の知見を融合させて議論する。今回の「超分野大喜利」のあり方が、違いを認めて前に進む「ダイバーシティ」の可能性を示唆しているように思えてきます。

次回レポート予告

第5回 超分野大喜利 「2050年脱炭素に向けて、暮らしを劇的に変えられるか?」

話題提供者:京都大学地球環境学堂 准教授 浅利美鈴先生

世界中が2050年までに化石資源に頼らない社会を目指した政策やスローガンを打ち出しています。しかし、実際に実現するには、私たちの暮らしや社会のあり様を劇的に変えねばなりません。

それは実現できるのか?どうすれば?

環境問題を出発点に、社会構造、政治、経済、教育、心理などなど、様々な視点から展開される議論の様子をお届けします。お楽しみに!

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超分野大喜利プロジェクト

異なる分野を専門とする大学院生や若手研究者・社会人が集い、異分野融合的なおもしろい発想を創発させる対話の場「超分野大喜利」を運営している。

毎月話題提供者をお迎えし、普段の研究や仕事の中で考えている問いに対して参加者の専門分野の視点を活かして一緒に考えることで専門分野を“超”えた視点の視点の創造を目指す。

「超分野大喜利」は京都大学分野横断プラットフォーム事業に採択されており、学際融合教育研究推進センターと学術研究支援室の支援のもとで実施されている。

公式サイト:超分野大喜利プロジェクト
公式Twitter:@choubunya

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