超解釈・「暴走する行政」—どうなる?なぜ起こる?—第6回超分野大喜利開催レポート

超解釈・「暴走する行政」—どうなる?なぜ起こる?—第6回超分野大喜利開催レポート

2022年3月5日、オンライン上に、知的探究心に満ちた空間が発生しました。その名も、「超分野大喜利」。

「超分野大喜利」とは、異なる分野を専門とする大学院生や若手研究者・社会人が集い、分野を”超えた”新たな発想を創発させるワークショップです。

アカデミックに、そしてダイナミックにうねりながら展開されるディスカッションのあり方は、まさに「大喜利」そのもの。過去の「超分野大喜利」開催レポート一覧は こちら からお読みいただけます。

6回目である今回のテーマは、「暴走する行政」。

ゆりかごから墓場まで。今や行政の領域は、それ以上に広がっているといっても過言ではありません。国民が政治家を選び、その政治家が行政を差配する。理論の上では、確かにそうかもしれません。では、ここまで肥大化した行政を、果たして私たちは本当にコントロールできているのか。そもそも、良い行政とは何なのか。

東市長の話題提供を受け、異なる分野の大学院生、若手研究者、社会人たちが3時間に及ぶ知的攻防戦を繰り広げました。MAJIME ZINEが密着したグループでも、議論は跳躍し、思わぬ終着点にたどり着きました。

記事を読み切ったあなたは、心地よい知的な疲労感に包まれているはずです。

それでは、どうぞ!

テーマ:「暴走する行政」

話題提供者:東修平氏(大阪府四條畷市長)

「行政は何をしているか」と聞かれても、ピンとこない人も多いのではないか。しかし、上下水道の整備、ごみの回収、事故現場への救急車の駆けつけなど、日常的なことから頻繁には起こらないようなことまで、計画に基づいて行われている。また、生まれてから死ぬまでを考えても、妊婦健診、保育園への入園、介護サービスや年金の受給など、行政から提供されている。まずは、これほどまでに、行政が身近な存在であるということを知ってもらいたい。

日本では国民が主権を有する。その国民が代表として政治家を選ぶ。自治体では行政のトップの政治家(首長)のもと、首長の権限が行政職員に分け与えられ、その権限内で道路や水道などあらゆる行政サービスの提供を行う。国民・政治家・行政職員それぞれの責任の取り方に違いがある点が特徴的である。政治家は選挙を通じ、投票されないという形で責任を追う。国民は、政治家を選んだ責任として生活が良くなることもあれば、悪くなることもある。一方で、行政職員はよほど違法なことをしない限り、その責任を負わされることはない。その理由は、悪い人間が政治家になった場合に、苦言を呈すことができるようにと法律で守られているからだ。これらに加え、第4の主体として「マスメディア」がある。彼らは、政治家がどのような行いをしているかを国民に対して情報発信をしている。

行政は基本的に市民の状況を隅から隅まで把握し、正しいサービスを間違いなく提供をすることが求められており、首長はそれらすべてを司るとされている。一方で、首長自らが全ての情報を把握することはできないので、行政職員などから情報を得て、政策決定をしている。しかし、その情報が正確かつ網羅的であるとはどうしたらわかるだろうか?もし職員が悪意をもった情報提供をしているとしたら、その暴走を止める判断をしようがない。なぜなら、国民への情報提供の役割を担うマスメディアが国民に届ける情報も、行政から提供された情報であることが多いからだ。さらに、暴走の結果、間違った政策を政治家が判断し、国民が影響を受けたとしても、責任を取るのは政治家のみである。

最後に、行政職員の名誉のためにも述べたいが、彼ら彼女らは常に高い倫理観と熱い志を持って仕事をしている。あくまで、政治と行政の役割分担上、行政の暴走が構造的に可能であるという点が私の問題提起である。

【大阪府四條畷市長・東 修平 氏 略歴】

京都大学大学院工学研究科​修士課程修了後、外務省​に入省し、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を始め、貿易協定の交渉に関する業務に従事した。その後、野村総合研究所インドにて、アジア新興国を中心に企業のグローバル事業戦略・経営戦略の策定を支援した。2017年1月、大阪府四條畷市長選挙で初当選し、市民との対話を軸に市政運営を行っている。2020年12月に再選し、現在2期目。

参加者

ちだ

デカン高原が広がる西インドのマハーラーシュトラ州で生活すること12年目。研究テーマは現地語のマラーティー語と日本語の対照研究。多言語国家のインドで、人と言語の関係を問い続けている。

りょうたろう

京都市在住の大学院生。専門はマインドフルネスと教育。研究以外の時間ではもっぱら散歩と写真撮影。NPO法人SILs 副代表理事。

むかい

野球好きが高じて、確率を現実世界に展開できそうな情報学を専門に選択。なんやかんやでネットワーク理論で修士号を取得。今は転職エージェントをやっており、一貫性のない自分を誇らしく思っている。

○○のいぬ

とある町の企業戦士。無機化学が専門。実際はいろんな化学をつまみ食い。現在は物質との非言語コミュニケーションを楽しんでいる。

きうい

「熱い三流なら上等」「暇こそ学び舎の語源」「空に手をかざしてみよう、この風はきっとどこかで君とつながっているから」人道支援の政治的意義とその先を考えたい。

今回の大喜利のお題はこちら。

“上手に行政を機能させるために必要なものは何?”

zoomの画面に回答フリップが並びます。参加者の回答を見てみましょう。

大喜利の回答

○○のいぬ

生活崩壊するという危機感

「行政の人間は辞めさせられることはないから安泰だ」という話題提供者の東さんの話を聞いて、首を切られないという立場の保証があるから、危機感が足りていないんだろうと思いました。ゴミ処理とか水道とか、「これがなかったら確実に行政崩壊するよね」という意見集約が足りてなさそうなのかなと。

自分たちが仕事をしなければ生活崩壊するっていう危機感が必要。

むかい

広く浅いネットワーク

大学院ではネットワーク理論を勉強していたのですが、社会単位で見ると、うまくいっていなかったのは、小さなグループだけが密集して乱立していて、グループ間の対話がない状態、分散が起こっている状態の社会でした。

広く浅いネットワークを築ける社会がいいと思います。そのための行政の役割は、ネットワークの孤立をなくすための施策を打つことかと。

ちだ

デジタルインディア

私はインドに12年住んでます。 インドで近年目覚ましく発展しているのが「デジタルの活用」です。最近はVisaをオンラインで取得することができるようになりました。以前は、まず地元の警察に頭を下げて家に来てもらって、お茶を出して「私は健全に生きてますよ」アピールをした後に、書類を出して、それでひたすら待たなきゃ行けなかった。書類もどっかに放置されて消えてしまうので、3回は出しに行く覚悟が必要で(笑)。

でも、「デジタルインディア」になってから、書類をアップロードするだけで、期日までにビザをもらえるという感動を味わいました。(※ビザの申請方法は情勢や申請内容によって適宜変わります。)

また、コロナ禍では「Aarogya Setu」というアプリで、半径100m、500m、10km圏内に何人のコロナ患者がいるかをモニタリングできます。ワクチン接種証明を取るのも簡単。今はインドで生活する方が、日本より楽になったんじゃないかって思うぐらいです。

りょうたろう

透明性・歯車が見えるデザイン」 トップを辞めさせられないから、歯車が狂ったら止めることができないという現状があるなら、単純に、歯車が狂っていく過程を見えていればいいんじゃないかな。 問題の所在を見える化する。デジタル化、ネットワークの概念は、その手法の一つなのかなと思います。

きうい

保護する責任(Responsibility to Protect)」。

行政単位を「国」の枠組みにしていくと、「保護する責任」は、国が別の国に介入するときの一つの論理になります。 市民の生命に関わる基本的なサービスを提供しているからこそ、「支配」は成り立つ。逆に言うと、支配者には「保護する責任」がある。その責任を満たしてない支配者は、支配を他の人に正統的に主張する根拠を失うので介入を許されるという論理です。 行政が市民にサービスをうまく提供していないという論理のもと、「この行政うまくいってないじゃん」っていう判断で、市民と土地を食いに行くことを許せば、それに緊張関係を感じて、その行政が介入を許さないために質を担保する動きが、勢力均衡的に起きてくる。

ちだ

人口が少ない村の行政が、人口の多い場所から助けてもらうイメージですか。

きうい

むしろ人口が少なくて抜けていってる都市は、最終的に大国の都市に食われるイメージ。弱肉強食の国際政治と一緒で。事実上、「こっち来た方がいいよ」と提示して、市民を奪えますよね。最終的にその市が形骸していけば、その市を併合して、リソースを全部パクれると。 極端ですが、国際政治をベースに考えるとそういうことが言えるかも。

ここからは「問い」を中心に議論を深めていきます。

問い1 暴走する行政で起きることは何か?

「市民のため」理論と、意図的な傾斜

りょうたろう

きういさんの話だと、暴走すると、市民がいなくなるってことですよね?

きうい

市民はいなくなるし、強い市はどんどん併合しまくって膨張していく……

りょうたろう

市民が逃げていく原因はなにか、という観点が大事そうですね。

きうい

行政は市民のため」というのが大原則ですよね。「機能しない行政は市民のためにならないので要らない」って論理が適用できるんです。

ここには、元々は「市民のため」という綺麗な論理が、相手に介入する論理に変わるモーメントがあります。 あくまで「市民のため」だったはずの論理が介入の根拠として使われる。

むかい

そうですね。それなら、高齢化の進む今の日本において、高齢者のための施策で若者が損をする場合は、「市民のための理論だから許せる」みたいなことになっちゃうんですかね?

りょうたろう

「市民」が、どこまでの市民を指すか。

むかい

市民がいなくなる前の状態として、例えば若者3割老人7割の場合を想定しましょう。老人に考慮しまくって3割の若者がいなくなった場合、7割の老人だけで一応成り立っている。(時間が経てば成立しなくなるけれど。)なので一口に「市民」っていうのは難しい気がします。どこかに傾斜がかかりすぎてしまう。

○○のいぬ

若い人に傾斜をかけるのも、「人を将来的に街を発展させたいから、若い人に来てもらいたい、だから若い人を優遇しよう、子育て支援をしよう」という論理によるものですね。

例えば、ある市町村Aが、「子育て世帯に月いくら分かの子育て用品をあげます。養育費の負担減るので、若い人来てください」っていうキャンペーンをやってるみたいです。

将来的に街をでっかくするために、若い人を呼び込む。そのために若い人を優遇しようと「傾斜をかける」。それが、世代間格差を助長したり、特定の世代間を優遇したりすることに繋がってしまうのかなって思った。

きうい

その傾斜は行政で決めるんでしょうか。

むかい

市民が行政がおかしいと思ったら、市長の首を変える、というイメージがある。だから、市長(行政)には税金の使途についての裁量があると思っていいんじゃないかと。

きうい

市長が変わったら、パラメータが一気に変わりますよね。パラメータのマイクロチューニングって、どういうふうになっていくんでしょう。

むかい

行政は施策を打つとき、客観的な数字(目標)を以って決定しますよね。先ほどの市の例なら、新規の外の人が何人入ってくるみたいな。ただ、その数字も行政の内部で設定したもの。

うまく回ってるなら問題ないけど、暴走する行政の場合は、その暴走する行政が考え出した基準に従って判断するから、全部内生化してしまって良くないような気がします。

りょうたろう

元々その市町村Aにいる人に向けて傾斜をかけているわけじゃないじゃないですか。

本来の行政の役割は、市民が安定した良い生活を暮らせるようにサポートすること。 子育て支援で他から若い人を入れることと、元々の市民にも変わらないサポートの体制を整えること。同時にできるならいいですが、両立できなかった場合の角度が暴走の始まりなんじゃないかな。

ちだ

子育て用品の話、外の目線からはおかしいなと感じます。うーん、だって、経済的にそんなに困っているわけではない人たちにも子育て用品配るんですよね?

きうい

「子育て用品」なのが面白いとこなんですよ。

1970年代から行政サービスは、人間の生死に注目するようになったと言われています。 人口が大きな力だとに気づき始めたので、人口動態を、生物学的、統計学的に管理しようというモーメントが出てきました。 少子化がアジェンダになってからなんですよね、行政が人口を増やそうとし始めたのは。そういう文脈の中で「子育て用品」というのは、非常に象徴的。

ミクロ的視点から始まる

ちだ

皆さん日本に住んでて、実際行政に不満や矛盾を感じるんですか?

むかい

それなんですよね!僕は全く自分がどこの行政に属してるのかを気にしたことないんで、暴走する行政に抱く市民の感情って、いまいち理解しづらいです。

きうい

僕はどの行政主体に所属するかを、効率性で考える。他に、まちに対する愛着、アイデンティティーを感じているから所属する人もいるでしょう。でも、それ以外に、所属している感覚が無色的だということもある。効率云々でもないし、自分がそこに住んでるっていう意識もないし、でもいる、みたいな状況。その感覚って何なんだろう。

○○のいぬ

何回か引っ越して思うのが、住むところが変わったからといってそこまで不利有利はないってこと。人は結局、住む場所が便利かどうかで選ぶと思うんで、不満って出にくいんじゃないのかな。

りょうたろう

日本が安定してるっていう部分が影響しているかも。

○○のいぬ

うん。あと良くも悪くも平均化されすぎているっていうところも。 さっきの養育費のサポートが出るってなると、やっぱり我々1人1人の個人の目で見ると、行ってもいいのかなあって思うような気がしますね。お金の負担が減るからその市町村(A)に行こうとか、数十年スパンで見たときに、市(A)がどんどんでかくなっていて、最終的にはAの周りの市町村を統合する。市長数代がそういうことを考えるようになるのが「暴走」だと言える気がしますね。直近10年スパンで見たらいいことしてるように見えても、100年単位で見たら果たしてどうかという問題。

きうい

市長がそんなこと意図してなかったとしても、ミクロの動きが拡大していくと、客観的に見て「暴走」ともとれる状態になっちゃう気がするんだよね。

○○のいぬ

なると思いますね。前の市長が良いことをしていたら、多分次の市長も継続するじゃないですか。だからどんどん流れに乗っていって、前の人の思惑が残って継続していくような気がしますね。

きうい

ラジカル反応ってこんな話でしたっけ。

こんな話題が出たところで、議論はなんともナチュラルに「問い2」へ向かってゆきます。

問い2 行政が暴走するメカニズムは?

ラジカル反応的連鎖

○○のいぬ

化学のですか……確かにそうですね(笑)。続いて伸びて、またそれが続いて……という反応です。 ぶちっと切れて、次のにひっついて、次のやつが同じような思想を持って、次につないでいく、どんどんそれが伸びていく。 (手を駆使して説明。)

国を取ってやろうという気持ちをもった過激なA、おとなしいBという分子がいたとします。Aが「よしBを取ってやろう」と、AはBにくっついた。ひっついたときに、おとなしくなるのかってなると、そうではない。合体した分子は元のAの残り香を持ってるんですよ。それが大人しいC、D、E……にもひっついて、長い過激なやつが続いていくことになります。 どっかで過激なやつは止まるけど、ものすごい時間が経つまで、その過激な意識は続いていく。人間に例えると何年スパンなのかはわかんないですけど、分子レベルだとそういう話は成り立ちますね。

りょうたろう

自分の学問分野の考え方に従って、行政が暴走するメカニズムをアナロジー的に考えるのは今回の議論の目標の一つでした。自然に問い2に入りましたね。

○○のいぬ

この分子を、市長に置き換えて考えられるかも、という話です。 分子Aを今の市長、分子Bを次の市長として、今の市長が過激な思想を持っていて、みんなに支援されているという状況をイメージしてください。

過激な市長Aがいて、次の市長はおとなしいと思ったら過激な人の思想を受け継いで過激になっちゃった。さらにそれは市長C、DEFG……と受け継がれていく。市民からは認められていた過激な思想がどんどんと続いていきます。でも、ある時にやっぱりこの政策はだめだと思った時に、少数では過激な人には太刀打ちできず 止まらなくなってしまいます。意見が出てきても急には止まれない・変えれない、これって「暴走する」と言えるんじゃないでしょうか?

ちだ

はあ、なるほど。分子のレベルが人間社会にも適用される……

○○のいぬ

んじゃないのかと言えるかもしれない。

ちだ

最初にきういさん暴走する政治のメカニズムとして、強い者が弱い者、強い行政が弱い行政を食っていくみたいなお話をされてましたよね。それは止めることはできないですか。

きうい

勢力均衡が考えられます。お互いにバランスの良い軍事力を立てることですね。相手勢力、もしくはそのバックに同等の軍事力を置いてやる。どちらかが強すぎると、相手側が危機を感じて軍事力を上げてしまう。エスカレーション状態になってしまうので、同規模の軍事力が大事なんです。また「絶対攻撃しません」という約束は絶対できない。なぜなら、その約束を信じてしまうと、攻撃されたときのリスクが高すぎるためです。 もちろん国際機関や、国際的な法律制度はありますけど、それはあくまで交渉コストが下がるってだけです。制度があったらいいわけではないはずなんです。「そういうのは駄目だよね」って規範が、有効だと言われたりもしますが、、「侵略や戦争は駄目だよね」って、いくらみんなが合意したとしても、いざ自分のことになると、「それはそうだけどさ」となっちゃうこともある。

ちださんの質問に改めて答えると、①同等の軍事力をお互いに配備する、②制度を設置し交渉の際のコストを下げてなるべくコミュニケーションを円滑にする 。③共通の規範を発展させる。ただ、先ほど言ったように 「市民の人権や福祉は大事だよね」という規範は、介入や攻撃の論理にもなる。 2014年頃にイスラム国(IS)っていたじゃないすか。あいつらって、結構住民サービスはちゃんとしたって言われてて。もちろんイスラム的に戒律は厳しく、逸脱者に対しては制裁を加えますけど、逸脱者でない人には自分たちの地域にいてほしいし、ちゃんと福祉を提供しようとする。市民が同意を示すことが、彼らの支配の正当性に繋がるからです。住民にどう福祉サービスを提供するのか、住民はどう逃がさないかは大事。

○○のいぬ

分子レベルでは、過激な奴とおとなしい奴が出会うと、過激なやつができるんですよ。じゃあ過激なやつと過激なやつが出会うと……?なんと、おとなしくなるんですよね。 でかいのとでかいのがくっつくと、平和になる。行政の話に適用できるかはわかんないけど、でかくしようとしているところ同士が戦ったときに、「じゃあ俺たちくっつけばもうでっかくなって安定できんじゃん」という発想に至るからかもしれない。「暴走するメカニズム」じゃなくて「おとなしくなるメカニズム」になることもあるかも。

むかい

互いに過激なことを言い合ってたら、わかり合えたりするんですかね。喧嘩したら仲良くなるみたいに。

ちだ

良い落としどころを見つけるかもしれないですね。「データ」は、その暴走を止めるために、機能するものですか。

データの中立性をいかに担保するか、そもそも可能か。

むかい

どっちもあり得るかと。データはいくらでも故意に歪めて解釈したり、都合のいいデータだけ取ってきたりできます。データは解釈するものですからね。

ちだ

データを中立的に見る人が、それを扱ったらいいってことか。

きうい

データの中立性は原理的に不可能な気もする……ブロックチェーンは、それを解決しないんですか?

むかい

ブロックチェーンは、情報が偽物かどうかは証明できると思います。例えば故意に生み出した、データ改ざんしようとする人が不都合だから消してしまうとか、自分の主張に都合の良いデータに改ざんして使うというようなことは防げます。

りょうたろう

知識を完全に客観的に捉えることは不可能ですよね。人間は情報を見て理解する時点で自分の経験を必ず反映するので。

データを扱う部署が一つでは無理だと思います。中立性を欠く可能性が高くなる。同じことを2人がやるのは非効率だし、第三者委員会第三者委員会だけの判断に任せるのもダメだと思う。本当にいろいろ混ざらないと駄目なのかな。

○○のいぬ

自然科学で新しい論が出てきたときは、専門外の学者を交えて、ああだこうだ、真偽を議論するんですよね。いろんな角度からその仮説が本当に正しいかどうかを判断していく。 いろんな人を呼び合わせて意見を戦わせるのは、自然科学の新しい考え方を認める上で使われている方法です。自然科学的な考え方をすれば、この手の問題も、実は解決できたりするかもしれませんね。

りょうたろう

やっぱり効率性とのバランスですね。

まとめ

「暴走する行政」が発生するメカニズムを捉え直し、行政のあり方を再考した今回の「大喜利」。議論は、国際政治や、データサイエンス、そして化学の文脈を絡めとり、複雑にうねりながら展開しました。

ディスカッションを終えた参加者たちに与えられたのは、冒頭に与えられたものと全く同じお題の大喜利。

“上手に行政を機能させるために必要なものは何?”

議論を踏まえ、参加者たちの回答はこのように変化しました。

次回レポート予告

2022年3月20日に開催された「第七回 超分野大喜利」にも、MAJIME ZINEが密着しました。

日常において、仮に多数が重要だと思っていても社会全体では軽視されてしまう感覚を持ったことはないでしょうか?「弱者救済」「環境保全」「文化・芸術」「教育」などなど、特に経済合理性とは相容れない分野には価値の循環が起こりにくい。「価値観の多様化が必要だ!」と表面的には言われながらも、どうやって共感すればよいのかわからない。
複素価値」という新しい価値の概念を用いて、「見えにくい価値」について考えます。

ディスカッションレポートは近日公開予定!

5
 いいね

超分野大喜利プロジェクト

異なる分野を専門とする大学院生や若手研究者・社会人が集い、異分野融合的なおもしろい発想を創発させる対話の場「超分野大喜利」を運営している。

毎月話題提供者をお迎えし、普段の研究や仕事の中で考えている問いに対して参加者の専門分野の視点を活かして一緒に考えることで専門分野を“超”えた視点の視点の創造を目指す。

「超分野大喜利」は京都大学分野横断プラットフォーム事業に採択されており、学際融合教育研究推進センターと学術研究支援室の支援のもとで実施されている。

公式サイト:超分野大喜利プロジェクト
公式Twitter:@choubunya

RELATED ARTICLES