no title#7 自然と人間
この文章は、新しく編集部に加わったジュンの初投稿である。題は、「自然と人間」。壮大なデビューにも程がある。ただ、この「壮大さ」こそ、ジュンがマジメジンに新風を吹き込むことを予感させるだろう。
「自然」や「人間」は、多くの意味を含むために、様々な場面で出会う言葉なのではないか。そしてこれらの言葉は、目をそむけたくなるくらいの奥深さを、内包するものでもあるのではないか。
この「目を背けたい」感覚は、当然筆者にもあったはずである。それを乗り越えて、彼女はこの一編を書いた。
自然と人間のせめぎ合いを、身体で感じた黒部旅の道程。森や葉を、「絵の具の黄緑」と形容した一節は、象徴的である。彼女の率直な自然論に、あなたは何を読み取るか。(ナカノ)
先日、富山県の黒部に旅行に行った。そこでトロッコ列車に乗って欅平という土地に向かった。しかし、富山は今まで訪れたことがなくて、地理の知識もないし、実際に何があるのかを知らなかった。トロッコに乗ってどこに行くのかすらもわかっていなかった。どうやら、黒部のダムの方に向かうものらしい。
トロッコに乗るとほどなくして、美しい湖が見えてきた。私が今まで見た湖の中で、最も美しく、最も人工的であり、自然的であった。湖面の色は、青とも緑ともとれない澄んだ色で、決してウルトラマリンブルーなどとは形容したくない。「あお」かったのだ。川底の石が白い花こう岩らしく、それであのような色に見えるらしい。
また、トロッコが山の奥へ奥へ入っていくたびに、木や葉の緑が、これまで目にしたことのない極彩色へと変わっていった。都会生まれ都会育ちの私にとって、日常的にみる緑は少しくすんで見える。その色が自然な緑の色だと思ってこれまで生きてきたのだが、今回その認識は打ち破られてしまった。森や葉っぱは、絵の具の黄緑をそのまま筆で塗ったような色をしていた。あれが、生きている緑本来の姿なのだろうか。私はその自然を美しく思うとともに、少しの恐怖を覚えた。
あまりにも、「極まって」いたから。
しかし、このトロッコはただ自然豊かな緑の景色が見えるだけのものではない。美しい湖を進んだ先には、その水をせき止めているダムがあり、発電所が設けられていた。
このような「自然」が生きている場所が、ダムとして人間のための発電に使用され、そのような場所へトロッコで「観光」していく、ということは、一種の矛盾を孕んでいる。
私は、自然に手を加えることは、自然に対する冒とくのように感じる人間だ。自然の理を人間が都合よく解釈していることには懐疑的である。
ただ、この黒部の自然は、人の手が加えられていようが、「美」であった。人の手が加わっていても、自然はあんなにも美しい。翡翠のように淡く輝く湖面や、鮮烈な色彩を放つ木々の緑は、自然開拓の是非を問う議論にしても、自然を解釈できる、と思っている人間の小ささを感じさせる。人間中心主義を批判する私も実は自然を見くびっていたのかもしれない。自然の中にある人工物を美しく思う、というのはそのことの表れだろう。
そのような議論の規模でない、壮大な、崇高な、自然が黒部にはあった。まだ日本にもこのような場所があるのだと、少し希望を覚えた。
ジュン
大阪出身の大学生
専攻:美学芸術学―文芸学
好きな言葉
「冬がなければ、春をそんなにも気持ちよく感じない。私たちは、時に逆境を味わわなければ、幸福をそれほども喜ばなくなる。」―シャーロット・ブロンテ
編集部での役割
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