〈第三世代〉戦争再考計画2022 / 手のひらの戦争

〈第三世代〉戦争再考計画2022 / 手のひらの戦争

昨年の本企画では、「第三世代」である参加者が太平洋戦争について、「学問」と「表現」の二つの切り口から議論を重ねました。「第三世代」とは、「祖父母が戦争体験者の世代に当たり、1976〜2005年の間に生まれた者」を指します(出典)。戦争のリアルと非・リアルの間にいる世代であること、そして、それぞれが教育やメディアを通して自分の中に形成された〈戦争〉があることを背景に、自分たちの言葉で語り合うことを重視しました。

今年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった瞬間を、我々は目撃しました。

人間は、なぜ戦争をするのか。

人類が背負ってきた命題ですが、未だ唯一の回答は得られていません。途方もない問いに絶望するのではなく、思考を続けるために、私達は以下の一文をキーワードとして取り上げてみたいと思います。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、

人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」

ユネスコ憲章(前文)

私の心の中の戦争とは。

私の心の中の平和とは。

語り合うことから始めませんか。

*このディスカッションは、2022年8月12日に行ったものです。

参加者プロフィール

ツジ

進行。京都市出身の大学生。美学芸術学を専攻。MAJIME ZINE編集部。

島倉

東京大学文学部所属。日本近現代史を専攻。

やっさん

法政大学4年。沖縄戦で亡くなられた方の遺骨収集をした経験がある。関連して沖縄戦について調べたり勉強会を主催したりしている。

ふつき

京都大学総合生存学館(大学院)所属。超分野大喜利運営者。

SNSは戦争と「ここ」を接続する

ツジ

8月になると、SNS上で「戦争」というトピックをよく目にします。
私は、目に入ることで、自発的に思い出しているというより、思い出させられているような印象を受けるのですが、皆さんはどう感じていますか。

島倉

思い出させられるって、確かにそうだなあ。
8月くらいは、戦争についてゆっくり考える機会があってもいいのに。テレビにはその役割に限界があるような気がします。その点で、SNSの方が考える機会を与えてくれているかと。

山本

NHKは去年、SNSを使った企画をやってましたね。
NHKの広島支局が8月6日の原爆投下に合わせて、当時の様子をTwitter上でタイムラインにして辿ってみようという企画で、「当時の人が8月6日にTwitterを持っていたら、どんなことをつぶやくのか」というテーマでした。

ツジ

原爆が投下された時も、戦時中とはいえ日常生活を送っていた訳であって、仮にTwitterがあったなら直前までツイートしていると思うんですよ。
だから、現代の日常と密接に結びついているSNSの性質を生かした番組が作れるんですね。

SNSが変えたもの

ふつき

ウクライナ侵攻に大きなムーブメントが起こったことに対して、やるせなさを感じた人たちが僕の周りにはいたかな。

僕個人でいうと、近いテーマを研究しているので、戦争は日常的に世界のどこかで起こっているものなんです。何年も経って周知の事実になり、そこで人が死のうともはや関係ない。でも、新しい戦争がヨーロッパで起こったことがショッキングだった。
どれか一つにスポットライトを当てるとき、SNSは武器ですよね。

ツジ

中東諸国からの難民は難民として受け入れられない場合もあるのに、ウクライナの難民を受け入れている話が美談としてSNSで話題になるということもありました。
(事実の)刺激や新しさによって、現実に格差が生まれてしまう現状もありますね。

ふつき

支援する、しないとか、SNSでその加速度は変わったのかな、と思います。
今は、銀行振込しなくても、携帯ですぐ募金できるじゃないですか。
だから、支援のNGOはいかにマーケティングするかにすごく気を配っている。
SNSで「バズる」のと、ワンクリックの募金は繋がっているからこそ、お金も集めやすくなったと思います。

島倉

とにかくSNSでは規模が大きくなりますね。
昔の日本で例えたら、その規模はせいぜい千人針みたいなコミュニティだと思うんですけど、SNSができたらその輪がとんでもなく広がって、ある意味みんなが戦争に巻き込まれるようになった。
70年前ウクライナで戦争が起こっていたらもっと他人事だったと思うんです。

ふつき

2月から3月にかけて、「この戦争を知ってるのに何もしないのか」みたいな圧力が若干あったように僕は感じました。

「なんでも発信できるけど、なんでも発信できない」

ツジ

SNSでは、発信せずただ見ているだけの人もいますよね。
そういう人たちの意見も偏らせてしまう性質がSNSにはあるのかなと思います。

やっさん

自分は逆の見方をしていて、プロパガンダはやりづらいことも多いと感じています。

例えば、今年戦後77年ですが、77年前にはラジオと新聞、あとは映画館で見るテレビ映画ぐらいしかなかったんですよね。その上、その情報源は国が持っていて、独自に取材発表するなんてことはできなかった。でも、国民はそれを信じるしかない。

戦後、テレビが登場しても、結局新聞やテレビからしか情報を知ることができなかったんです。
それが、インターネットの登場によって地球の裏側からも瞬時に情報が届くし、SNSによってもっとたくさんの情報も入ってくるようになりました。

そして、SNSの強みというのは、誰もが発信者になれるところです。
広がるかは別として、自分の伝えたいことを全世界に公開することはできる。
一方で、また別の思想を持つ人たちも同じことをしていて、せめぎ合っていく。

そういう場がSNSなので、ある特定の考え方一つに染め上げるというのは、今の時代、難しくなってきてるのかな。

島倉

同意見です。SNSは、「武器」にはならないと思うんですけど、それは自由な意見の場として保たれているという条件付きだと思います。

例えば、SNSに国家から情報統制がかかって、AとBの情報のうちBは一切見られない、Aの情報しかないとなったら、「みんなAって思ってるなら、Aなんだな」って考えられてしまう点で、危険を孕んでいます。
今、日本で情報統制はかかっていないけど、それは簡単に転び得るのかな、とも思います。

ふつき

ウクライナでもありましたけど、「勝っているように発表されているけれど、実は負けている」「人権侵害がある」という個人による発信もしやすくなっていて、その意味では悪いことはしにくくなっていると思っています。

また、戦争にもルールがあって、これはやってはいけないというのが国際人道法で決まってるんです。
今回、ロシア側がまず弾劾されたんですけど、ある人権団体が「ウクライナもやってるよ」って言ったんです。
同団体のウクライナ代表が、その発言はロシアのプロパガンダになっていると抗議し、辞任した一幕がありました(参考)。

別の支援団体の人に話を聞いたら、「善悪の構図にはまらない言説って、むずかしいよね」と言っていたのが印象的でした……。オープンスペースのコメント欄にどんな意見を書くのも、確かに言論の自由ではあるんですけどね。

島倉

確かにオープンな場ってことは、「公開処刑」の場にもなりうる。
SNSを使って、「上」が思想を統一することは難しいけど、SNS上でのオープンな議論を通じてある考えが論駁されれば、「下」の社会が発言に白黒つけて「ある考え方が正統でそれ以外は間違っている情報だ」と知らしめるという、「下」からのプロパガンダにSNSはなりえる。

ふつき

なんでも発信できるけど、なんでも発信できない、というか。

「適切な議論」は難しい 

ふつき

社会学が専門のやっさんに聞きたいのですが、おそらく技術社会学の話になるんですけど、SNSって大体縦スクロールですよね。
新聞だったら、横向きの紙面に情報が並んでいるから俯瞰的に見ることも形態上は可能なところ、縦向きに追っていくと前の投稿は見えなくって、構造上、横に並べて比較することが難しいじゃないですか。

SNSは形式の面で比較しにくい構造になっていて、その形態が思考や社会的な構図にも影響を及ぼしてるのかなと思いました。

やっさん

その視点はとても面白いですね。
本当のメディアリテラシーを追求するならば、複数の情報源を比較することが理想だと思いますが、私たちは手軽な情報源としてTwitterやネットニュースに飛びついてしまう。

また、テレビ番組の街頭インタビューに出てくるのは大体2〜3人で、社会学的には社会調査とは言えません。
多様な人の意見を聞けるっていう意味では、新聞やテレビより全然(SNSの方が)いいかなと思います。

一方で、Twitterが世論を代表しているわけではない。
バズって「いいね」がいっぱいついても、せいぜい10万〜30万で、日本の人口からしたらほんのちょっとです。
確かにSNSは世論を作りますが、まだ既存のマスメディアの方が強いと思います。

島倉

SNSで発信しているのは「100人に聞きました」に答えてくれる100人なんじゃないかな。
つまり多様な人の意見ではないかもしれない。
特に政治的な話は、見ているだけの人の方が多いでしょうから。

やっさん

大っぴらに見られたくない人や、仲間内で盛り上がりたい人が、アカウントを非公開にする訳ですよね。
そして、自分に合わない人はどんどん排除していく。所謂「集団極性化」っていうことなんですけど。
Twitterもフォローしてる人の意見しか見ない訳ですから、自分の中で考えが凝り固まっていってしまう。

ふつき

(SNS上で)この人の意見をよく見てるなっていうところで、結局ファクトも決まっちゃう。
例えば、「国の予算100兆円です。どう振り分けますか」という問いかけに対して、これは「軍事」「福祉」などファクトが決まっているから意見が分かれるじゃないですか。
でも、ファクト自体を話し合うとなってくると、適切な議論はなかなか難しい。

やっさん

そうですね。
ある程度集団の中で、「ファクト」が決まっていないと、一般の常識からかけ離れた結論が導き出されてしまう。
共通認識、土台が鍵を握るのかな。

ふつき

土台の事実を得るというのは、すごく難しい。
日本人の何割がこう思っているから、という理由でサンプリングするのも難しいし、歴史の認定だってすごく難しい。

島倉

迷宮入りする議論を誰かが誘導していったら、怖い使われ方になると思うんですよね。

SNSの危うさ

ツジ

SNSの意見って、テレビでもよく使用されていますよね。
例えばSNSで流行った出来事とか、意見でも偏りがあるものをテレビでも報道することで、利用していない人の意見にまで知らないうちに影響を与えるんじゃないかな。

島倉

国会でも「ネット上の声は〜」みたいに紹介されていたり、議員もSNSのアカウントを持ってたりしますよね。
国会で出たSNS上の意見は、なおさら権威を持ちますよね。

山本

テレビでSNSが使われるというのはお昼のワイドショーでよくやってたりしますし、それによって直接街の人にインタビューしなくてもよくなりました。
ただ、大衆の意見を代表していると思われる意見がチョイスされてはいるけれど、どうしても編集者の意図が入ってきてしまう。

ふつき

「バズる」もそうやし、「結構言われてます」の基準って難しいですね。

世論調査って条件を設定するじゃないですか。
新聞や雑誌なら、何世帯に調査したと条件提示をしてるから反復可能ですが、SNSだと条件提示もなければ定義もないので、印象論的な話になっちゃいますよね。印象論が悪いとは言わないけれども。

やっさん

テレビもどうしても印象に頼っちゃうところがありますよね。
もちろん専門家の方もいらっしゃいますが、テレビのコメンテーターも、個人的な私見を話すことが多いです。それもみんな印象論なわけで。
印象で語ることが悪いわけではないんですが、ただ、その印象と事実がかけ離れていることもあります。

島倉

SNSって、今の議論でも、結構否定的なイメージで語られているイメージがあって。
でも我々ってSNSを使って見ちゃうじゃないですか。
眉唾ものの意見が一定数あるとわかっていながら見てしまう、っていうのは不思議な媒体だなあ。

やっさん

SNSの権威性みたいなものは、まだしっかりとは固まっていないんです。
SNSがテレビとか新聞とかと同じ位置を占めることは私はないと思いますけど、でも、ここで語られていることがくだらないで片付けられてしまうのか否かについてはまだ何とも言えないな。

島倉

うんうん。
SNSが完全に権威がないものだって捨てられたら、本当に訴えている人の声も一蹴されてしまう。
かといって過度に権威づけしてしまうと、プロパガンダとしての武器になってしまう。
SNSネイティブがまだ少ないからこそ、どっちにも転びうる危険性を孕んでいる。

〈第三世代〉に求められること

やっさん

私たちがSNSに触れたのは中高生ぐらいの時からで、幼少期にSNSが無かった最後の世代なんですよね。
でも、これから生まれてくる人たちは、生まれた時からSNSがあって当たり前。
そういう世代が増えていくと、SNSの重みも違ったものになってくるのかな。

ツジ

悪い点もあるということをわかって接しないと、情報を鵜呑みにしてしまうと思います。
最近、SNS上の極端な意見に靡くのは、SNSに馴染みがない団塊の世代から上であることを知りました。
ということは、私たちよりも後の世代、SNSネイティブのSNSとの向き合い方はさらに懐疑的になり、SNSが絶対的な権威を持つことはないと思うのですが。

島倉

戦争は国家間の戦いだから、情報に国家の意図が出やすいというのは受け手にわかっている人が多いと思う。
だから、兵士や市民など「下」からの意見を求めると思うんですよね。
その点、SNSはいい手段だと思う。
「上」の意見じゃなくて、「下」の意見を聞くためのSNSというのは大事だと思います。

やっさん

そうですね、政府の発表だけじゃわからないこともありますし。
今、ウクライナ侵攻の戦況に関する情報のなかで、そこに避難せず暮らす市民はどういう生活を送っているのか、どういうふうに受け止めているのか、という声を知ることができるのは昔にはない視点だと思います。

ふつき

現地の人の息遣いが伝わりますよね、動画や写真があれば。
「かわいそう」と思うこともあれば、ツッコみたくなるものも。
こんな戦争はいやだと訴える兵士もいれば、煽るような内容をアップロードする兵士もいる。
それもある意味、人間臭い息遣いですね。

やっさん

今回の戦争の実質的な損害を発表したのは随分前です。
だから、SNSから今の被害を知ろうとする動きもあって、メディアには追いつけない部分もあるんじゃないかな。
発表で明かされることがない以上、真実に近づく手段としてのSNSというのは今後広がっていくのかな。
情報メディアより正確に伝えるSNSの可能性は、恩恵かと思います。

ふつき

SNSではファクトが揺らいでいるという話がありましたけど、逆にファクトを固めるという用途もある訳ですよね。

やっさん

隠された真実をSNSを使ってたぐりよせることは、武器ともいえるんじゃないかな。
戦争が初めて生中継されたのは湾岸戦争の時だと言われますけど、今回のウクライナ侵攻を皮切りに、SNSを使っている現場にいる人がリポーターになる。

島倉

すべての人がリポーターになりえて、すべてのリポーターからリアルタイムで情報が集まる、この手のひらに。
すごい量の情報をスクロールで追っていくわけで。
だから、質も上がるんですけど、情報量も増える。
その中で、SNSネイティブなんだっていう自覚や、捉え方も大事ですね。

やっさん

これまではある程度、取捨選択するのがリポーター、カメラマンなど他人だったわけです。
これからは、いろんな情報が手のひらの中に入ってきて、どれを信じるかは本当に自分次第。

でも、あまりに負担が大きすぎると思います。
結局、私たちに真実を見極める力があるのかといえば、そんなことはない。

情報機関みたいにいちいち裏を取って、この写真が本物なのか、この投稿はほんとに正しいのか、判断するなんてできないですよね。

一方で、私たちにできることとしては、盲目的にそのまま拡散するんじゃなくて、一呼吸置いて、最低限でも同じようなことを言ってる人はいるのかを調べたり、情報を裏付ける公式な情報はあるのかを探ったりすることが偽の情報を流さないことに繋がります。

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ツジ

編集部員。京都市出身の大学生。美学芸術学専攻。

好きな言葉:「哲学的ゾンビ」
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