温もりある違和感を見つめて /偏愛道vol.8 置気づかい
世の中には、思わず通り過ぎてしまうような小さな“ときめき”を愛する人たちがいます。彼らに見えている世界は、普通よりも濃厚で、カラフル。「偏愛道」は、その愛に満ちた眼差しを切り取る企画です。
第8弾は、「置気づかい」を偏愛する、萬名 游鯏(よろずな ゆうり)さんによる寄稿です。
“置いとく”だけの気づかいが、気になる。
街を歩いていると、道端の落とし物がふと目に入りやたらと気になってしまうことがあります。これを読むあなたにも、ままあることかもしれません。
そしてどうでしょう。あわせて、誰かが意図せず落としたであろう物がいかにも不自然な場所に置かれた様子にも覚えはないでしょうか。
ガードレールの柱にすっぽり被さる手袋、街路樹に結ばれはためくマフラー、植込みに丁寧に置かれたハンカチ、縁石に腰掛けたぬいぐるみ……等々。
思うに、それらはもはや単なる落とし物ではありません。持ち主に戻らずとも一度は拾い上げられたものであり、幾らか人の手の介在が透けて見える姿です。
「少しでも落とし主が見つけやすいようにしておこう」「地面で汚れゆくままになっているのは些か心が痛む」。然るべき所に届けるまではせずとも、そういった僅かな優しさや忍びない気持ちが発露した結果の“ちょっと置いとく”だけの行動の痕跡。
私は、そんなささやかな気づかいが生み出す光景を『置気づかい(おきづかい)』と称して撮影・記録し、また多少なりとも考察している人間です。
大まかには、路上観察と呼ばれる界隈に属するものになるでしょうか。
惹かれる理由を探って
どうも妙なやつが妙なものにフォーカスした話を始めたぞ、とお思いの方もいらっしゃるでしょう。ご安心めされよ、怪しい者ではございません。
友人知人からは人相の悪さと語り口の胡散臭さに定評がありますし、今回お話しする対象にカメラを構えている様子は傍目に不審そのものかもしれませんが、あくまでも無害な、言ってしまえば地味極まる趣味の話をするだけです。変な深みに引き摺り込む心算も世間的にマズい狙いもありません。
しかし味わい深さについては、心のうちで舌鼓を打っていただける同好の士、あるいはその候補となる方が少なからず居るものと信じています。
申し遅れました。私、『置気づかい』という呼称をつくり、その撮影や公開などの活動をしております、萬名 游鯏(よろずな ゆうり)といいます。普段は職業としてIT関連や印刷物のデザイナーをしています。
もとより趣味として近所の散策や旅行でスナップ的な写真を多く撮っていたのですが、今年(2022年)に入って『置気づかい』専用のアカウントを開設、InstagramとTwitterで活動をスタートしました。
どういった契機で始め今に至ったのかは後ほど触れるとして、私がどこに惹かれているのか――記事のシリーズに準えるなら“偏愛ポイントはどこなのか”を先にお話ししましょう。大きく4つあります。
ポイント1:姿
私の思う置気づかいの魅力、1つめとしては、まず何より単純にその視覚的な面白さです。
言うなれば、風景としてはイレギュラーな存在です。本来ならそこに無い、あるべきでないものが突如として視界に飛び込んでくるというのは、その一面だけを捉えれば現代アートじみた風情があると思っています。
偶発的に発生する仄かに哀しいプチシュルレアリスム。そもそもは落とされた/忘れられた物である彼らの纏う迷子としての佇まいと、小さくとも希望を感じさせるようなポジティブな扱いを受けた形跡が綯い交ぜとなって滲み出る、独特の味わいです。
撮る瞬間はそのビジュアルをひとり静かに噛み締めるエンタメでもあり、他の人に見てもらう段にあっては“判りやすい奇妙さ”を共有する楽しさも持ち合わせています。
ポイント2:ごく小さな気づかい
次いで、冒頭でも述べましたが、ささやかな優しさがそこに見て取れることです。
言うまでもなく、本来であればより適切な行動が推奨されます。街中なら交番、施設内なら管理者やインフォメーションセンター、警備員さん等に届けることが望ましいのは間違いありません。
しかしながら、そうしたいという心持ちの人であっても、あらゆるタイミングで実行するわけではないでしょう。
付近に届け先が見当たらない、時間的に余裕が無いといった理由もあるでしょうが、落ちているものが金銭や余程の貴重品または個人情報の塊でもない限り、残念ながら大抵の人は手間を掛けてそこまでの親切さを発揮できないものです。
それでも持ち合わせる思い遣りやチクリと痛む根底の良心のもとに、拾い上げて目立つ場所に置き直したり、ちょっと横に寄せておいたりといったアクションを起こします。あるいは下手に届けるより、その場に留め置くほうが持ち主に戻る確率が高そうだと考え得るシーンもあるでしょうけれど。
少しのジレンマと人間臭さを併せ持った、何とも言えない温かみがそこに垣間見えると思うのです。
ポイント3:外出のアクセント
3つめは、見つけることそのものが与えてくれる効果です。
私は置気づかいを意識して探すことはしないようにしています。
路上観察のジャンルにおいて著名である片手袋研究家の石井公二さんも同じことを仰っていて、勝手ながらシンパシーを覚えたのですが、偶然の“巡り合わせ”や“出逢い”を大切にしたいという意図によるものです。
必然的に、発見は何かのついでになります。散歩の道すがら、買い物の途中、通勤の乗り換え時、旅先など。
これが主目的になってしまうと「今回は出会わなかったな」といったマイナスの結果を齎し得ますが、そうでないからこそどんな時どんな場所であっても、見つければ楽しみがその分プラスになるのです。
こと普段の生活エリアにあっては、日常の中にときどき紛れ込む、ごく小さな非日常とも言えますね。
うどんに入れる薬味の如くアクセントを利かせてくれます。
ポイント4:分析あるいは物語
そして4つめに、分類できそうなパターン、分析すべき点、想像の余地が多いことです。最後のはいっそ妄想と言ってもいいかもしれません。
それが何であるか、どういう姿になっているかなど、カテゴリやタイプを自分なりに設定し、分析内容や想像できることをキャプションやコメントで付けるようにしています。あとはタイトルを付けるのも私の個人的な楽しみポイントですね。
例えば、以下に写真を掲載する小さな子供靴なら、こんな風に想像していきます。
(ちょっとしつこい文になるのでナナメ読みで流してください)
――ベビーカーや自転車に乗せられた幼児が足をぶらぶらしているうちに落としたかな? それとも靴が嫌になって脱いじゃったのかな? お気に入りアイテムだったとしたら片方を失って泣いてないかしら? だとしたら親御さんも大変だ、近くに幼稚園があるので送り迎えの時に落ちたんだろうか? デザインからその子の性別は判りづらいな(時代的にどちらでもそう気にすることではないが)、赤い靴で目立つから日々通園している人ならすぐ見つけるかもしれない、同じような人物なら園に届けそうなものだから拾い上げた人はそうでない可能性が高そうだ、ダメージは少ないので最近落とされたものだな、子供の落とし物は特に気になっちゃって置気づかい化されやすい傾向があるかも? ちょうど柵があったからパッとそこに掛けたんだろうな……etc.
そしてまだ上手くまとめられていないのですが、全体的な傾向を分析する材料としては、簡単ながら以下のようなことが見えてきています。
例えば、冬場の手袋やマフラーなど他の時期に身につけない物が目立つこと、信号待ちのある交叉点や駅の出入口がホットスポットであること、金曜夜から土曜朝にネクタイや上着が増えること、観光地では落とし物の置気づかい化率が高そうなこと、などです。
意識しなければどうということもありません。が、こう言われてみると、いずれもその理由がぼんやりと予想できるでしょう? 裏付けまでは難しいですが、こうした部分にも面白さを感じているのです。
愛でるに至る経緯
さて、きっかけについてもお話ししておこうと思います。
先述の通りどこに行くにもカメラ片手に動いている私ですが、置気づかいを初めて写真に収めたのはかれこれ13年前、2009年の東京、曇天の池袋でした。
駅にほど近い場所でたまたま植え込みの木に掛けられたイヤリングに気付き、なんか違和感あって面白いな、と何気なくシャッターを切ったのです。
勿論その頃はこんなに撮り続けることになるとは思っていませんでしたし、コンセプトとして『置気づかい』という名称を考えついたのも随分と後になってのことです。
しかしその一枚を皮切りに、どうも時おり同じ状態になっている物に目が行くようになりました。
何年か掛けて少しずつ、十数枚ほど溜まった頃でしょうか、写真のデータを振り返っていると意外に数を撮っていること、そしてこれらがシュールな雰囲気を伴ったバリエーション豊かな被写体であることに気が付きました。
これは面白いかも知れない。きちんと認識してからは“そういう目になった”とでも言いましょうか。積極的に探さずとも、なにか誘われるようにして加速度的に点数が増していき、十数年のあいだ淡々と撮影を続けていました。
そんなある時、転職した先で方向性の近い写真趣味の同僚と出会って意気投合、今もやり取りの多い友人ですが共に広島に旅行したことがありました。
道中で置気づかい――エアコンの室外機に載せられた手帳を見掛けた私は「ちょっと待って」と声を掛けてそれを撮影していたのですが、友人は訝し気な表情。
そりゃそうだなと思い、こういうものを長いこと撮り集めているんだと説明すると爆笑されました。「あたまおかしいっすよ!!(誉め言葉)」
自分の活動スタイルも伝えると「サブクエストですね」と言われました。成る程、言い得て妙です。その時のことを例にするなら旅が主目的、“メインクエスト”だったわけですね。くそう、おまえ言葉のセンスがいいじゃねえかよ……。
彼からは「面白いですし、折角なら何かで発信したらどうですか」とのラフな提案も。これが大きな後押しになりました。
そうか言われてみればコンテンツとして楽しんでくれる人は他にもいそうだ。いやいてくれるとなんだか嬉しいじゃないか。本腰入れて形にしてみよう。そんな流れでした。
それでも暫く本格的には動けなかったのですが、改めて気を入れ直して大量の過去データをアーカイブ的に整理しながら掘り起こし、じわじわとSNSへ投稿していました。そんな折にMAJIME ZINEさんからお声掛けを頂いた次第です。
おわりに
同じようなものを撮影・記録されている方は他にもたくさんいらっしゃいまして、国内・海外を問わず落とし物フォトを集めているSNSアカウントも幾つもあります。
因みに、私も置気づかいを整理している最中に知ったのですが、同様のものを指す言葉としては先行して #善意のはやにえ というシャレの利いた名前が提唱(吉永健一さんによる)され、タグとして広く利用されていたりもします。機知に富みつつやんわり毒もあって良い名付けですよね。
置気づかいも、同じものながら雰囲気の違う呼称として併せて知って頂けると嬉しいですね。自分なりの視点や考察をもって活動できればいいなと考えています。
落とし物全般をカバーエリアとして同様に妄想を繰り広げる #落ちもん というタグ(藤田泰実さんによる)も生み出されていますし、先に紹介した片手袋などは重複する領域もあります。
どれも同士や隣人のような気持ちでもって、コンテンツを楽しませてもらっています。
路上観察の分野にあるものは、奇しくも置気づかいとコラボレーションになっていることも少なくありませんね。
三角コーン、送水口、エアコンの室外機、透かしブロック、マンホールの蓋、鉄塔、曲がった交通標識、配管、商店街のアーチ、巨大サボテン、いけず石、たぬきの置き物、切られた木、お店の箸袋、勝手に貼られたシール、犬のフン放置を注意する看板、超芸術トマソン……挙げればキリが無いほど、世の中にはごく近い生活範囲でも実に様々なものに目を向け愛を注いでいる人たちがいます。おそらく私やあなたが思うよりずっと多く。
皆さんも是非、日頃の行動範囲で少しでも気に留められる対象を見つけてみてください。ちょっとした街歩きや通勤・通学にも、ほんの少しながらきっと彩りを加えることができることでしょう。
その1つとして、よければ置気づかいも気にかけていただけますように。あ、タグ #置気づかい も各SNSではどなたも自由にご利用くださいましね。
これまでに撮ったものが数百点あり、もう暫くの間はそれなりの頻度でSNS更新を続けられそうです。それが尽きればペースは落ちるでしょうけれど、ライフワークとして継続していく所存です。
いずれ冊子にまとめ、同人誌として発行することも計画しています。今後どこかのイベントや通販Webサイトで見掛けることがあれば是非お手元に。
誰しも不意に物を失くしてしまうことはあります。どんなに対策を講じる人物であっても完全にはそこから逃げ果せないでしょう。
持ち物との予想外の別れは、破損や盗難を除けばそれは落としたり忘れたりといった原因が大半だと考えられます。それだけ世の中には落とし物・忘れ物が日々生じ続けているとも。
即ち、置気づかいもおそらく無くなることはありません。必ずしも好ましいだけの光景ではありませんが、基本的にその時その場所でしか撮れないものであり、私にとってほぼ無限に生まれていく興味対象です。
そうでなくとも、落とし物は綺麗な状態で無事に持ち主の元に戻るに越したことはありません。なるべく適切な所に届けるべきであり、また殊に他者の迷惑となる場合は避けるべきでもあります。
けれど、拾って目立つ場所に“ちょっと置いとく”だけでも、街にほんのり優しさが加わります。
どうか皆さま、置気づかいあれ。
萬名 游鯏 / Yorozuna Yūri
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『置気づかい』の名称考案者、およびアカウント運用者。その面白さを記録・考察し、共有するための活動を行っている。
街の中や道端で出会う様々な面白いものに心を寄せるほか、神社や路地裏、水辺などを見つけてはふらっと立ち寄りがち。また地図・地形と生き物全般が好き。
普段はフリーランスで印刷物やIT・Web関連の各種デザイン制作等を仕事としている。職業上、自宅か周辺の喫茶店にいることが殆どだが、散策にあわせた写真撮影がライフワークとなっている。
幼少よりあちこちに移り住んできた影響か今も移動癖があり、隙あらば旅に出たい気質を持つ。記事執筆の時点では埼玉在住であるものの、またどこかに引っ越しているかもしれない。