平成に生まれた私が昭和の音楽に魅了されたお話 / 偏愛道vol.7 昭和ポップス

平成に生まれた私が昭和の音楽に魅了されたお話 / 偏愛道vol.7 昭和ポップス

私の偏愛するもの

人生には思わず衝撃を受けてしまう瞬間が度々ある。
遡ること20年前、家のDVDプレイヤーから美空ひばりの「川の流れのように」が流れてきた。流れるような美しいストリングスのイントロ、迫力のなかに母性を感じる歌声、そしてそこから想像する世界観。どれも私には衝撃的だった。いったいこれを歌っている人は誰なのか?両親に尋ねると「美空ひばりという人だよ。もう亡くなっちゃったんだけどね」と返答があった。

この曲に衝撃を受けてから音楽を聴くのが好きになった。両親が聴く音楽にはなんでも耳を傾け、たくさんの楽曲に触れていた。

しかし、小学生になった私はひとつの壁にぶつかる。
学校では、みんな知らない音楽やテレビの話をしているのだ。私はそこで気づいた。
今まで聞いていた音楽のほとんどは『平成の音楽ではなく、昭和の音楽だった』ということ。

ひとつ実体験を話そう。
私はいつも仲良くしている友人の家に遊びに行った。そこに綺麗な女性のポスターが飾られているのである。
「この人綺麗だね!」私はそう呟いた。

「え、安室ちゃん知らないの?」そう言い返された。
「うん、知らない」そう言うしかなかった。そのポスターの女性は国民的アイドル安室奈美恵だったのだ。その時、私は人生史上最高の羞恥心を味わった。
この経験が私にとって、自分自身がコンプレックスになった大きな原因だったかもしれない。昭和の音楽やアニメばかり見て、テレビを真面目に見た経験はなかったからだ。

それ以降、私はテレビっ子になった。時間があればテレビに張り付いて見ていた。同時に音楽を聴くことにも距離をおいていた。

時は流れ、高校3年生の時。人生を変えるような出来事があった。
それは、YouTubeでたまたま中森明菜の『DESIREー情熱ー』を披露している動画を見たことだ。そこに映っている彼女は、儚げで憂いを持ちながらも圧倒的な歌唱力で全力で曲を歌い上げていた。
「こんなアイドル、見たことがない。」

衝撃だった。自分が見てきたアイドルはいったいなんだったのかと考えさせられた。
それから彼女の楽曲に夢中になり、裾野を広げるようにどんどん昭和ポップスを聴き漁る日々を過ごしてきた。

大学進学を機に上京すると、ますます昭和ポップスを聴き漁っていた。嘘かと思われるかもしれないが、大学ではサークルにも入らず、特に友達と一緒に行動するわけでもなく、授業以外は一人で音楽を聴いていた。気持ちがどんどんエスカレートして、遂に昭和歌謡が流れる歌謡曲バーや神保町の昭和歌謡に関する書店・レコード店によく行くようになった。

神保町の古本屋「ARATAMA」の店内

そのなかでも歌謡曲バーを訪れたことは私にとって、人生を大きく変えた出来事であるといえよう。
当時唯一趣味が合う先輩と一緒に歌謡曲バーに行った。中に入ると、壁一面に昭和アイドルのポスターが飾られていて、映像も音楽も当時のものが流れていた。

新橋「あの頃のスーパースター」(現在:中野「思い出処 逆行」)

時代を忘れてタイムスリップしたような気分になれた。しかし、店内にはもちろん同世代はいなかったのである。

店の片隅でリアルタイム世代同士で和気藹々と盛り上がる様子を羨ましく思った。

そんな沸々とした思いをきっかけにSNSをはじめてみると、思っていた以上に「昭和歌謡が好きな若者」がいることを知った。

「この人たちを歌謡曲バーに集めたらどんな化学反応が起こるのだろうか?」
「同世代の仲間は身近に歌謡曲を語れる人が少ないからここ(SNS)に集まっているんじゃないだろうか?」

そう思いたち、2020年2月に新橋にある「あの頃のスーパースター(現在:中野「思い出処 逆行」)」で平成生まれ限定参加のイベントを開催した。

2020年2月に開催したイベント『昭和礼讃』の集合写真

5月、そこから同世代の仲間を輪を広げるために、『平成生まれによる昭和ポップス倶楽部』という若者を中心とした音楽コミュニティを発足した。

現在はリアルタイム世代から後世へ昭和ポップスの文化発展と継承のためにコミュニティを運営し、「昭和ポップスを多角的に愉しむ場所を創り続ける」ことをビジョンに活動をしている。

ここまで長々と生い立ちや団体を発足する経緯を話してきたが、そんな私が思う昭和ポップスの魅力を綴っていきたい。

昭和ポップスの魅力その① 歌詞

これを読んでいるあなたは「歌詞」について、どんな考えをお持ちだろうか?

私は昭和ポップスに於いて歌詞は“楽曲の心臓”だと思っている。音がなくても歌詞を見れば、その曲の登場人物・状況・心情まで読み解ける。

まさに究極の短編小説とも言えるだろう。そんな歌詞は曲に息吹を与える重要な存在だと思うのだ。

昭和歌謡界を代表する作詞家 阿久悠は生前、作詞家の心得を明文化した『作詞家憲法15条』の13条でこう述べている。

歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを4分間に盛ることも可能ではないか。

阿久悠『作詞家憲法15条』より

数々のヒット曲を生み出した作詞家の阿久悠は、無類の映画好きとしても有名だった。まさに映画のような華々しいワンシーン・登場人物の心情を一曲に凝縮することにこだわりを持っていたのだろう。

その思いは時代を超えて私の心にも刺さった。

そのなかでも特に心に刺さった歌詞を紹介したい。同じく阿久悠が作詞した、河島英五の「時代おくれ」という曲のサビの一節。

ソニーミュージック 河島英五 ディスコグラフィより引用

目立たぬように はしゃがぬように

似合わぬことは無理をせず 人の心を見つめつづける

時代おくれの男になりたい

河島英五『時代おくれ』より

大袈裟かもしれないが、私にはこの歌詞から阿久悠からのメッセージが聞こえてくるのだ。

この曲が発売されたのは、1986年。日本がバブル経済に突入した年だ。人々は、経済が豊かになりその羽振りのよさに心を踊らせていたのだろう。阿久悠はその時代の空気感を見逃さなかった。世の中は好景気で豊かだけど、本当に大切な何かを見失っている。周りに流されず、似合わぬことは無理をせず、時代を淡々と見つめられる人もカッコいいじゃないか。この曲はそんな時代に対する生き方を提示しつつ、時代をそのままにみせる写し鏡のような一曲だと思う。

歌詞は見事なまでに臨場感があり、叙情的。しかし、それ以上に何か物事の本質・真理を語りかけられているようにも感じる。

このように歌詞を通して、人生の価値観すら感化される時もある。
昭和ポップスは私にとって最高のエンターテイメントでもあり、人生の教科書でもあるのだ。

昭和ポップスの魅力その② サウンド

サウンドの魅力を語るうえで明確にしておきたいことがある。それは私は音楽的な専門知識を持っていないということだ。多少の音楽経験はあるものの、これから話すことは非常に感覚的な表現が増えていくのであらかじめご容赦いただきたい。

私が思うサウンドの魅力、それは偏にさまざまな楽器が重なり合い楽曲の“血肉”になっているということ。先述した通り、歌詞は音がなくても曲の世界観がわかるが、そこにサウンドが入ることによって、より一層の臨場感が出るのだ。

サウンドは昭和ポップスに於ける”心臓から流れる動脈・静脈”とも言えるだろう。ゆったりしているのか、アップテンポなのか、それによっても楽曲の印象は大きく異なり、使っている楽器でも世界観がまるで違う。

例をあげると、昭和ポップスでは特に多種多様な楽器が使われている。例えば、久保田早紀の「異邦人〜シルクロードのテーマ〜」には民族楽器ダルシマーが使われているが、それがあるだけで見事に異国情緒を感じることができる。思わずいま自分の目の前にサハラ砂漠が広がっているように錯覚してしまう。他にもジュディ・オング「魅せられて」にもギリシャの民族楽器であるブズーキが使用されており、曲の世界観をよりリアルに感じる創意工夫がされているのだ。

ぜひ、今聴いて欲しいくらいなのだが、このように歌詞とサウンドは非常に重要な相関的役割を持っている。基本的に昭和ポップスではシンガーソングライターを除いては、作詞・作曲・編曲をそれぞれで行う分業制で楽曲を作っており、役割が明確に分かれている。だからこそ、専門的で高いクオリティーの楽曲が多く生まれたのだろう。

作詞家・作曲家・編曲家、全ての叡智が昭和ポップスの一曲に結集しているのだ。

昭和ポップスの魅力 その③ 歌番組

今、あなたは「なぜ音楽の話をしていて歌番組?」と思ったかもしれない。それにはしっかりとした理由がある。

昭和の歌番組は基本的に生放送、一発本番が当たり前。そのおかげでバックバンドも原曲とはまた違うアレンジが楽しめる。また、生放送・生演奏ならではの緊張感も画面越しに伝わってくるのだ。

また、TBS系列の歌番組『ザ・ベストテン』では、アーティストの多忙なスケジュールに無理くりに合わせて地方のコンサート先、移動の交通機関にまで出向いて披露していた。もはや、近隣の迷惑も心配も跳ね除け、番組の出張中継は名物までになっていたのだ。

私が特に気に入っているのは1980年8月14日放送の『ザ・ベストテン』。この回は、昭和を代表するアイドル、松田聖子が2作目の「青い珊瑚礁」で初ランクインした記念すべき回だった。

そんな重要な初回の登場はなんと羽田空港からの生中継というものだった。百歩譲って、ここまではまだ理解はできる。

しかし、昭和の歌番組は規格外。当時の番組プロデューサーの山田修爾は、彼女の記念すべき初ランクインを盛り上げるために、羽田空港や全日空と事前に協議を重ね「飛行機のタラップを降りてくるところを中継」というプランを了承させていたのである。

歌番組、しかも生中継で飛行機一機をジャックするなんて、規模がおかしいと思う人は私だけではないだろう。

しかし、それだけで終わりではない。
当時、松田聖子が乗った目的の飛行機は、風の影響で5分早く、羽田空港に到着の予定だった。それに焦ったプロデューサーの山田修爾は、すぐさま全日空の広報に「飛行機のスピードを遅れさせてくれ」と無茶なお願いをする。結果的にパイロットの協力もあって、無事に彼女は華々しい初披露をすることができた。

タラップから降り、そのまま羽田の滑走路で歌うアイドルの姿は、この先あるのだろうか?

番組制作の陰ながらの努力とそれに協力する様々な関係者・企業、そしてそれを待ち侘びて毎週、応援するように見守る視聴者。この三位一体の関係が昭和の歌番組の魅力の源泉だと思うのだ。

もちろん、スタジオでの放送も豪華なセットや衣装、演出からも目が離せない。

平成にはない煌びやかな芸能界・音楽業界が私の心を踊らせてくれる。だからこそ、曲を聞いたら、その後にぜひ当時の歌番組を動画サイトで見て欲しい。

最後に

ここまで長々と昭和ポップスの魅力を語ってきた。正直まだまだ語り足りないのだが、これくらいにしておこう。

現在、世界中で日本の昭和ポップスが注目されている。竹内まりやの「プラスティック・ラブ」はYouTubeで再生回数2,000万回を超え、松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me〜」は2020年、Spotifyグローバルバイラルチャート18日連続世界1位を記録した。

他にもラッパーのSheff GやJ.Coleなどが昭和ポップスをサンプリングしたのが話題になった。さらに日本のレコードの売上が2000年に比べ約10倍になったデータもある。

この需要に伴い、ますます昭和ポップスが注目されて多くの人に聞いてもらえたら嬉しい。一片のシーンを切り取った昭和ポップスはそれを聞いた人のその時の思い、情景と共にまたその人の人生の一部になっていく。

私もこれからの長い人生を昭和ポップスと共に歩んでいきたい。そして平凡な人生のなかで、更なる探究と文化発展のために泥臭く精進していこうと思う。

団体紹介_平成生まれによる昭和ポップス倶楽部

【平成生まれによる昭和ポップス倶楽部】は、平成生まれながらも昭和ポップスをこよなく愛する方々の「語れる仲間がほしい」「もっと昭和ポップスの魅力を深掘りしたい」を叶えるべく、2020年5月に発足された団体。昭和ポップスという異世代の文化を同世代と一緒に多角的に愉しむことをビジョンに活動中。

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かなえ氏

Twitter:@showagasuki
Instagram:@showagasuki
神奈川県在住のしがないフリーランス
高校生の時、中森明菜の「DESIRE−情熱−」をYouTubeで見たのをきっかけに、昭和ポップスを探究し始める。大学の卒業制作で戦後の昭和文化をテーマにした雑誌を制作。
2020年2月には、新橋「あの頃のスーパースター(現在:おもいで処・逆行)」にて平成生まれ限定参加イベント「昭和礼讃」を開催。
5月に平成生まれによる昭和ポップス倶楽部を自ら発足。
「周りに語れる仲間がいない」「もっと昭和ポップスの魅力を深掘りしたい」異世代の文化を愛する仲間と「昭和ポップスを多角的に愉しむ場所を創り続ける」ことをビジョンに活動中。

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