「複雑で、カッコ悪くて、愛おしい」生の人間をアーカイブに。映画『ブルートピア』/君のメディアvol.5

「複雑で、カッコ悪くて、愛おしい」生の人間をアーカイブに。映画『ブルートピア』/君のメディアvol.5

他の誰のためでもなく、「作りたい」という純粋な思いで何かを作る、作ってしまう人々の姿をキリトル企画、「君のメディア」。5回目となる今回は、2022年3月公開の映画『ブルートピア』の皆さんにお話を聞きました。

映画『ブルートピア』とは

映画『ブルートピア』は、監督・寺尾都麦の呼びかけで集まった約40人の大学生による自主制作映画。脚本、撮影、編集、音楽、広報など、すべて手がけるのは大学生。2021年6月から制作開始。9ヶ月の制作期間を経て、遂に完成。

2022年3月12日(土)・3月19日(土)、京都市男女共同参画センター(ウィングス京都)にて上映。

「いつか答え合わせをする私たちへ」

一人残らず全ての大学生は、”境界”に立つ生き物である。

夢か現実か、自分か他人か、性欲か愛情か、そして、大人か子どもか。

映画『ブルートピア』において、彼らが生きているのは私たちそのものであり、全ての大学生のシノニムとして彼らはそこに存在している。

そこはブルートピア。大学生だけの残酷な世界。

映画『ブルートピア』オフィシャルサイトより引用

自分たちのすべてを凝縮し、葛藤の中に生きる若者の複雑さを丁寧に描き出した、「大学生の、大学生による、大学生のための」アーカイブ映画。

今回インタビューに応じてくださったのは、監督、主演女優、主演男優のお三方。

監督_寺尾都麦

大学3年生。2021年の6月、「映画を撮りたい」という長年の夢を叶えるべく、映画制作団体「natsumeki films(ナツメキフィルムス)」を立ち上げ。映画『ブルートピア』の脚本/監督を務めた。大学では言語哲学を勉強中。「人は言葉を使いながらどのように感情を習得しているのか」を学んでいる。

 

主演女優_西澤花香

京都芸術大学映画学科俳優コースに在学中。映像演技について、実技を学んでいる。

 

主演男優_隅谷達也

高校時代、声優養成学校に通っていた。舞台経験はあるが、映像作品は今回の映画が初めて。

映画のあらすじを監督に聞きました。

寺尾都麦

舞台は2021年。京都に暮らす大学生2人(西澤花香さん演じる女の子と、隅谷達也さん演じる男の子)を主人公に、物語は進んでいきます。

女の子は、かなりの現実主義者。夢を追いかけている人間が嫌いで、そういう人たちを「甘えてんじゃねえよ」と一蹴するタイプ。一方男の子は、夢を持って熱く生きている。「現実を見て生きなきゃ」とか、「就職活動をして大人にならなきゃ」とかいう考えは、彼にとってはくそ食らえ。 そんな真逆な二人の人間が、色んな葛藤を抱えながら生きていくさまを映し出した映画です。

二人は知り合いではないというところがこの映画の面白いところ。実は二人が言葉を交わすシーンは一度もないんです。

【脚本を作る】自分たちの一番かっこ悪い現状を役に落とし込んで

——脚本はどんなふうに作ったのですか。

都麦

映画を撮ろうと思い立ってから、まずは一人で大まかな構成を考えました。でも、脚本はメンバー全員で作り上げたものなんです。

メンバーを、「どちらの主人公のタイプに似ているか」を踏まえて、二つのグループに分けました。「私は現実主義なタイプ」「俺は夢追い人かな〜」っていうふうに。

そして、それぞれの主人公がどんな葛藤を抱えていて、どんな生活を送っているのかという細かい設定をそれぞれ練りました。そうして2週間、毎晩3、4時間に及ぶ話し合いの末に出来上がった2人の人間の姿を、元の脚本のプロットに当てはめていきました。

——自分と役に似た部分があるからこそ、主人公にリアルな人間味を与えられたということでしょうか。脚本をあえて全員で考えた意図はなんですか?

都麦

自分たちの作品が、世のいろんな大学生の、あるいはこの時期を乗り越える(/た)人たちの「アーカイブ」になってほしいという思いからです。

自分たち自身にとってのアーカイブにもなるように、自分たちの今のカッコ悪い現状を残しておこうと思って。

忘れられないのが、「みんなの今一番苦しい瞬間はいつか」「普段どんな葛藤を抱えて生きているか」を全員に問いかけたこと。一人ずつ、本音を書き出してもらいました。「4年間でやりたいことなんて見つからんよな」とか、「結局俺らってセックスと内定にしか興味ないんだよな」とか……。その時に出てきた赤裸々な想いを、そのまま台詞に盛り込んでいます。

——いろんなエッセンスを複数の人物から抽出したということですね。

都麦

そうです。分身みたいな形で。

映画に出てくる、夢を追っている人に対しての「甘えてんだよ」というセリフも、逆に、就活するのは「負け」な気がするという考えも、実際にメンバーから出てきた本音。メンバーの今一番カッコ悪い状態を、それぞれの主人公に溶かしていきました。

制作メンバー12人、および撮影に関わった人は全員大学生。

西澤花香

え~、全然知らんかった……!でも、しっくりきたかも。主人公には、弱くて醜い、なんだか嫌〜な部分しかないのですが、メンバーそれぞれの弱い部分をそのまま役に入れ込んだからだったのか……。

都麦

映画の中の主人公たちは、「なんでそんなに捻くれているんだ」って思ってしまうような奴らです。子どもと大人の狭間、「ブルートピア」にいる、それぞれの人が抱える苦しさ、弱さ、醜さをあらわにした人間。2人は、ブルートピアの只中の人たちの苦しさを、まさに「表面的に」表現しながら、現実の自分たちの代わりに映画の中で生きてくれているんです。

映画の主人公たちは、架空の人物でありながら、ものすごくリアルな形をしています。そこには、脚本づくりの過程での工夫がありました。

じゃあ、それを演じるのって、どういうこと?

編集部が気になったのは、演者と登場人物の距離の埋め方。

いくら「大学生のリアルな姿」だとはいえ、演じる主体である自分と役の間には、埋めがたい乖離があるはず。演じる人たちは、いかに「他者」である役の人物を理解し、自分に落とし込んでいくのでしょうか。

【演じる】近くて遠い<他者>を自分にインストールする

——演者のお二人に聞きます。改めて、ご自身が演じた役はどんな役でしたか?

花香

「彼女」は、どうしようもないクズ。誰かがいないと生きていけないような気がしています。

人が本当は隠したいような部分が前面に出ているだけであって、結構みんなに当てはまることなんですよね。普通の大学生とも思えます。だから腹立つ部分もあるけど、守りたくなる。共感できる部分もたくさんあるからこそ、完全な「クズ」とは言い切れないんです。

——どんな部分に共感できました?

花香

現実を見れない、というか、認めたくないところですかね。例えば、やらなきゃいけないとわかっていても、別のことに逃げてしまうところ。私も就職や将来のことを考えると、「絶対無理」って逃げたくなる。思いっきり遊びにいっちゃうとか、そういう拒否反応が過剰に出てしまうことがあります。「現実逃避したくなるよな、大学生って」って、彼女に共感します。

隅谷達也

僕が演じた主人公は、「自分は他人とは違うんだ」という意識を持っているんです。自分は特別だと思っている。だからこそ感情や熱意が、周りと離れてしまって、「うわあああああ」となってしまう。「自分はこう思ってるのに、あいつはなんでこう思わんねん」と。自分は他人と違って豪語してるのに、自分の考えを他人に理解されたいというジレンマが、悩みの種なのかもしれないと思っていました。

——今達也さんがおっしゃったことと、もともと都麦さんが構想段階で考えていたこと、ギャップはありましたか?

都麦

達也が主演に決まってから、当初の想定から少し変えて、役のキャラクターを達也自身に寄せました。

達也が一番自然体で出せるような雰囲気を出してもらうためにも、脚本で作った人物と、生身の人間の達也を掛け算する形をとりました。

達也

自分は、映像演技に関しては本当にペーペーなので、助かりました。

——役の女の子は、夢を追う人を見下すような見方をする現実主義者ですが、花香さんご自身はどんなタイプですか。

花香

私は今俳優コースにいるので、夢を公言しちゃってるみたいで恥ずかしいんですけど(笑) 真逆ですね。彼女の性格は、自分の性格とあまりにも違いました。どうしても理解できない部分もあったので、「なんでこういう時にこんな言葉や行動が出てくるんだろう」って監督に相談しながら演じました。

——他者を100パーセント理解するのは不可能ですよね。異分子みたいな他人を、どうやって自分にインストールするんだろう。

花香

「想像力」ですかね。物真似をするような感覚で、ある人物から特徴を真似るために抜き取っていく感じです。今回私が演じた女の子の場合はあえて、「普通の大学生」だと意識しました。私は彼女がとりわけ特殊だとは見せたくなかったんです。観る人に、きっと自分にもそういう風に思ってる部分があるだろう、って感じてほしくて。

——達也さんは役と自分、似ていますか?

達也

自分はこの男性タイプに近いかも。自分は他人と違う存在でありたい、というところ。多くの人は映画や舞台に出るなんてしないじゃないですか。僕は、人と違う経験を得られるのが凄く楽しい。そこは、主人公の男性と重なる部分ですね。

都麦

脚本上の人間って、どれだけ詳細を考えても絵本の中の人、作られたものでしかありません。 生身の人がそこに息を吹き込んでくれてはじめて、花香ちゃんなら花香ちゃん、達也なら達也の「色」を持った人間が映画の中に誕生したと思います。 自分があれだけ想いを馳せた愛おしい2人の人間が、自分の”よーい、はい!”の掛け声とともに目の前に現れたとき、うまく伝えられないけど、「あぁ、めっちゃいいものがここにある」と、心が震えました。

——もし現実世界で、この主人公たちが目の前に現れたら、親しくなれそうですか?

都麦

いたらめっちゃ嫌でしょうね。笑

でも、この2人の人間を生んだ自分の立場からいうと、あの映画の中の人と同じような人が目の前に今いたら、これ以上ないくらい守りたい。あの2人は本当に苦しんでて、弱くて、ダサくて、でもちゃんと優しくて、今にも壊れちゃうような気がするから。

自分は、二人のバックグラウンドや葛藤、これまでに涙を流したいような瞬間がたくさんあったことを知っています。自分は監督として、二人の最大の理解者だと思っています。

主人公たちが生身の人間になっていく過程を目の当たりにした。

花香

友達にはなりたくないかな。でも、私は彼女を演じたことで彼女のことを全否定できなくなりました。外側から見ればクズだけど、内側からその子を見ている感覚になっちゃったので、ただの嫌なやつでは片付けられないんです。

達也

彼は自分が考えないような考え方をする人なので興味持っちゃいますね。目の前にいたら話してみたくなっちゃうかも。

1ヶ月の撮影期間を経て、演じる主体と演じられる人物の境界が徐々に接近していったことが伺えます。

最後に、映画制作プロジェクトの発起人であり、「ブルートピア」の世界を立ち上げた張本人でもある都麦さんに、思いの丈を明かしてもらいました。実は、取材日の時点では映画は未完成でした。絶賛編集中だという都麦さんは、「現在進行形で、自分の中で作品の意味や解釈が広がるのを感じる」と語ります。

【アーカイブする】自分たちにしか撮れないものを探して

——大学生を主役にしようと思い至ったのはなぜでしょう。

都麦

「自分たちにしか作れないものってなんだろう」というのが、一番最初の壁でした。考えて出した答えは、「今のこの感情だな」ということでした。きっと忘れちゃう、今のこの瞬間、この感情を、「アーカイブ」として映画にして忘れないように残しておきたいと思って。

——学生が作る映画の多くは、大学生が主人公だという印象があります。その中で、都麦さんたちじゃなきゃ作れなかった、という部分は。

都麦

まさにそれが、一番悩んだところです。 誰にでも考えられるようなものは作りたくない。でも全員に共感できるものが作りたい。その中間の脚本を書くことが自分の課題でした。

そのアンサーが、「描くのは限りなくリアルな大学生の世界。だけど、その世界はただの日常ではなくて、メタファーになっている」っていう不思議な設定です。ラストシーンまで分からない、もしかしたらラストシーンを見てもまだわからない。考えなきゃ伝わらない、そのひとひねりが、監督として自分にできる最大の努力だったかなと。

絶対に誤解を生むけど、めっちゃ簡単にいうと、この作品は「ファンタジー」映画です。

——リアルにファンタジーを混ぜ込んだ意図、聞いてもいいですか?

都麦

ブルートピアに暮らす人たちの「内面の複雑さ」って、絶対に一本のストーリーでは描けないんです。「こういう人が、こういう出来事に出会って、その結果こうなった」だけじゃ絶対嘘になる。それはそれで本当なんだけど、でも一人の自分の中にも、別の角度から考えて動いていた自分もいる。感情は一つじゃない。複雑な感情が絡み合って、ブルートピアの人間が完成されている。

それを表現する方法として、「ファンタジーの世界で、リアルな感情と経験を映す」という映画の構図を思いつきました。ひとつの事柄を何か別のもので訳しているけれど、伝わる感情は同じ、ということを言語学(主に翻訳学)の世界では「ダイナミック・トランスレーション」と言います。

参考にしたのは大好きな作家、カズオ・イシグロです。彼の作品はファンタジー。いつも、現代の社会には存在しないような空間を描きます。でも最後まで読めば、現代社会のある部分を描いてたんだとわかる。彼は文学を通して、ある種のダイナミックトランスレーションを実現していると思っています。これを映画でできないかと考えたんです。

——「アーカイブ」という言葉が何度も出てきましたが、撮影を終えた今、「アーカイブ」になっているという実感はありますか。

都麦

このアーカイブの強さを感じるのはきっと数年後だなと、作りながら思うんですよね。

この映画の肝は、ブルートピアにいる若者のネガティブな部分を詰め込んで、偉そうに客観的に作品しようとしてる自分たちこそ、まさにブルートピアの住人で、内側からの景色しか今は見れてないというところにあると思っています。

そんな自分たちが、いつか本当に「大人」になったときにこの映画を見てはじめて、今生きてる自分と答え合わせができるんだと思っています。それが映画のキャッチコピー「いつか答え合わせをする私たち」の意味にも繋がっています。他の意味もあるけどね!そちらはパンフレットで。

今の自分(寺尾都麦)も、作中の主人公二人も。色んな人の答え合わせがどうなるのかは、数年後にならなきゃ分からないけれど、この作品が存在することによって、いつか答え合わせをする約束をしたい(してほしい)なと思っています。

撮影期間はひと夏。始発から終電まで撮影が続いた。

映画『ブルートピア』は、監督、演者、製作陣、すべての関係者のひと夏の生きた証、まさに「アーカイブ」です。

↓『ブルートピア』をもっと詳しく ↓

聞き手:モエコ

取材日:2022年2月16日

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映画『ブルートピア』

「いつか答え合わせをする私たちへ」
葛藤をくり返す2人の大学生を繊細に描いた、現代の全ての大学生に送るアーカイブ映画。
2021年6月から制作を開始。脚本、撮影、音楽、編集、広報まで、すべて大学生のみで手掛けている。2022年3月、京都市男女共同参画センター(ウィングス京都)にて上映予定。監督:寺尾都麦

オフィシャルサイト:http://bluetopia.html.xdomain.jp/ 
Instagram : @bluetopia_film
Twitter:@natsumeki_films

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