虚学を学ぶ意義 /文殊の知恵vol.1

虚学を学ぶ意義 /文殊の知恵vol.1

大学生3人が、もっと真面目に語り合ってもいいんじゃないか、語り合おうじゃないかということで、気になるテーマについて語り合う新企画です。題して「文殊の知恵」企画。第一回目のテーマは「自分たちの専攻分野を学ぶ意義とは?」です。

参加者

モエコ:文学部。国文学科。日本文学をこよなく愛する。

ナカノ:文学部。美学・芸術学科。家に画集がある。

フク:文学部。史学科。日曜日の楽しみは大河ドラマ。

一口に、文学部と言っても学科がさまざまあり、3人は異なる分野を学んでいます。そこでなぜその学科を選んだのか考えました。

ナカノ:選んだ理由は、すごいなんか、芸術ってわからなかったから。学問っていろいろある。数学とか化学とか語学とか。だけど、高校までの自分が一番よくわかんないなと思ったのは芸術だった。だから好奇心をくすぐられた。あとは家族の影響もあって。でも家庭環境の影響を言うのは、なんか恥ずかしいな。

モエコ:「わかんない」ということに、気づけるのってすごいと思う。高校の「美術」の時間に、美術を「わからない」と感じる領域に達することって普通あるのかな。高校生の時点で、美術に対して「問い」を見出せるほど、美術に触れる機会と、特殊な感性の両方があったのね。

私が国文を選んだ理由は、単純に日本文学が好き、いや、好きを超えて、文学が自分にとってなくちゃいけないものなんだと勝手に思ってた。それほど読書経験も豊富じゃなかったんだけど、高校生の頃の性質が絡んでたのかな。

文学への思いが強いあまり、私なんかが文学の世界に足を突っ込んでいいのかって、文学への謙遜の気持ちから、もっと直接現代社会と繋がれる学問を選ぼうかとも思った。でも、先生が背中を押してくれたのもあって、自分と切っても切れない「縁」があると思えた文学をやりたいと思って進学を決めた。

フク:私は歴史を勉強していて一番楽しかったし、先生がかっこよくて好きだった笑。文学の授業は好きじゃなくて、じゃあ文学部の中で歴史を専攻しようと思った。

本日の本題である、各分野を学ぶ意義について考えました。

ナカノ:美学を学ぶ意義は、世界をどうとらえるか。世界には深さと広さがあると思っていて、広さを知るのって足を動かせばわかるけど、世界の深さってあんまり知る機会がない。それを知るのが学問だと思ってるから、そういう意味では、実学論争も教育も関係ないなと思う。

モエコ:最初それでかなり悩んだ。しばらくは不安があったけど、今はもう乗り越えた。正直、資格とか、すぐに役立つものに走りたくなることは未だにあるけど、「すぐに効くものはすぐに効かなくなるものだ」って自分に言い聞かせることにしてる。

今世の中に流布しているものの多くは、ある問題に対する明確なアプローチや解決策を示してくれる便利なものが多いと思う。Web記事は特にその傾向が顕著で、「〇〇するための○つの方法」とか、答えを提示してくれるものが多いよね。「すぐに役に立つし、明確な「なるほど」があるから、それらに頼るのだけど。言わばそれって「特効薬」みたいなもの。

それらを参考にすることは悪いことではないのだけど、私は「特効薬」よりももっと長期的なスパンで、自分の深いところに効くものがあると信じたい。

そしてその一つが、「文学」だと思う。名作として読み継がれている作品には、長い間人々に愛されるなりの理由が必ずある。作品を読むことで、現実世界では「コミュ障」でも、沢山の人に出会えた。いろんな世界を覗けた。人間の愛おしさ、哀しさ、愚かさ。色んな人の恋愛観や人生哲学。どう考えても目の前の問題解決には繋がらない。

だけど、単純にはゴールに辿り着けない、いや、そもそもゴールを想定することの方が不毛な世界にちょっとでも足を踏み入れれば、特効薬よりじっくり効いてくる何かに出会えるんじゃないかな。これは文学以外の人文系の他の学問でも、普遍的なエッセンスがあるって言えるんじゃないかな。すぐに導けない答えというか、人間の特殊性の中にある普遍性をなんとかして見出そうとする営み。単純に魅力的だと思う。

私の大学の先生の言葉で印象的なものがあって。

「大学とは余計なことを考えられる最後の時間です。社会に出る猶予期間でもあり、社会的な有用性、経済的な生産性を求められずに済む最後の時間です。それをモラトリアムと見下したり、恥じる必要はありません。たとえ現状で目的がなくてもいいのです。社会に出てしまえば、「目的」「計画」「成果」「報告」という単語を吐きそうなほど焼き付けられます。「目的」を強制されず、悩んだり、自分に問いかけたり、迷って変なことをしたり、暴走して突っ走ってみたり、そういうことができる開放空間として大学があるべきだと思います。個人的見解としては、もっと役に立たないことをすべきです。無価値なことをしましょう。就職後に社会の役に立たないことをしたら、ゴミのような目で見られます。だから就職して即座に社会に染まりすぎないためにも、今こそ余分で余計なことを思考する能力を培うべきなのです。僕はできるだけ社会の役に立ちたくないので、文学研究をしています。」

フク:日本史を学ぶ意義は「歴史は繰り返す」ということがあると信じているから、そこから学べることがあると思っている。どんな時代からも。例えば倭の五王が活躍した時代って、卑弥呼の時代とか、すごく古く感じるけど、じつはおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのさらにおじいちゃんの時代にさかのぼるに過ぎない。コロナの世界的パンデミックだって、今までにそのような疫病の流行は何度もあったからね。ある局面にぶつかった時、過去から学べることはあると思う。

ナカノ:歴史が繰り返すというのはほんとにそうだよね。大学の先生が美術史を研究するのは、社会・歴史・文化の広がりのなかの一点にピンを置くことだと言っていたのね。たまに、普遍的でない、世界に一つしかない芸術作品や作家の特定のケースを勉強してどうなると言われることもあるのだけど、その特定の部分にも普遍的な部分は必ずあって、それはまさに歴史は繰り返すからだと思うんだ。だから美術史研究のように、部分を具体的に考えるきっかけや、思いだすきっかけが「虚学」と言われ、なくなっていくのだとしたら、それはすごく怖いことだと思う。

データは解像度が高いほど容量が重くなるように、実物の作品の身体性、絵の具の厚みや、文字の流れとか含まれる情報は膨大なんだよね。一つの作品の深さが、世界の深さにもつながっていて、歴史の深さでもあると思う。

2021年4月14日オンラインにて


 

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フク

1999年生まれ、福島県出身。Instagram:nimekobe

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