誕生日祝うのなんで?[yu-an youthコラボ企画]/文殊の知恵 vol.9

誕生日祝うのなんで?[yu-an youthコラボ企画]/文殊の知恵 vol.9

誕生日。

皆さんはこの言葉を聞いて、どんな光景を思い浮かべますか?

ケーキの上の赤いイチゴ、プレゼントへの期待が膨らむ胸、テーマパークでその日だけもらえるシール……

このように”誕生日”を想像することは簡単ですが、マジメジンはそれでは満足できません。

そもそも、誕生日祝うのなんで?

すっかり慣習になった誕生日のあれこれを、根本的に考えてみる。
「複数人で話し合えば、ひとりでは考えが及ばないことにも辿り着けるのでは?」をコンセプトにした企画「文殊の知恵」で試みました。

京都の町家で開かれる 学生主催のサロン「yu-an youth」とコラボして、イベント中に参加者の皆さんがディスカッション、編集したものです。

昨年のyu-an youth のイベントレポートはこちら↓
①これから考えたいこと/文殊の知恵vol.3
②中学校の教科で一番役に立ったのは? / 文殊の知恵vol.4 

参加メンバー

今回のディスカッション参加者は、以下の4名です。

ナカノ

同志社大学文学部美学芸術学科4年。ゴーギャンのタヒチ人女性の肖像画を主題に卒論を執筆。

nagai

同志社大学文学部美学芸術学科3年。幼い頃に行った展覧会で強い影響を受けた東山魁夷を中心に、風景画の研究を行っている。

マイ

山口理科大学薬学部薬学科3年。薬剤師志望。

田中

同志社大学文学部美学芸術学科3年。長島有里枝の作品を中心に写真の研究をしている。

私たちが祝うとき/ 祝われるとき

ナカノ

みなさんは自分の誕生日、祝いますか?

nagai

家族や友達に祝ってもらいます。

田中

人並みに祝ってもらいますし、私も祝います。

マイ

祝ってもらいます。

ナカノ

私は自分にご褒美をあげるんですけど、皆さんはどうですか。

nagai

いいですね。人に祝ってもらうのとは違うというか。

マイ

一人暮らしを始めてからは、自分にケーキを買うこともあります。

田中

誕生日には人といることが多いから、自分では祝わないかも。

ナカノ

誰の誕生日を祝いますか?

nagai

家族や友達の誕生日を祝います。以前小鳥を飼っていたことがあるんですけど、その子の誕生日を手帳に書いていたこともあります。

マイ

仲が良い友達なら、家に招待したり、長い間会っていなくてもLINEで祝ったりしますね。

田中

盛大に祝うのは、やっぱり恋人かな。

ナカノ

誕生日を祝うか、考えたことはありますか?

nagai

すごく当たり前になっていて、考えたことなかったです。

ナカノ

この議題は、編集部員の「この習慣はなんなんだ?」という疑問から生まれました。そもそも、誕生日の歴史的なはじまりは、数え年ではなく個々人の誕生日に年をとるという形になった昭和24年だそうで、思ったより新しい文化なんですよね。
誕生日を祝うことには、習慣以外にどういう理由があるのでしょうか。

nagai

個人の存在を認識することだと思います。数え年だと集団だけど、誕生日だと「個人」が強調されるので、その人のことを考える日になるのではないでしょうか。

田中

他に改まって感謝を伝える日がないので、生まれた日にかこつけて……というか。

マイ

自分と関わりがある人、人生に関わってくれている人への感謝の気持ちがあります。

ナカノ

誕生日を「祝われる」ことにはどういう理由があると思います?

nagai

「この年まで生きられたね!」と、今年も何事もなく誕生日を迎えられたという事実を意識することができるからかなと思います。

田中

祝う時もだけど、祝われる時にも「大事にされているな」と感謝の気持ちを感じる。

マイ

普段自分が周囲の人とどのくらい関わっているのかを意識することもできますよね。

誕生日ってどんな日?

ナカノ

七五三とか、恋人たちの記念日とか、年を重ねたことを祝う行事は他にもありますよね。それに対して、誕生日の特別さって、あるのでしょうか。

nagai

誕生日は毎年来るものなので、祝われる側としては、定期的に自分の存在を再確認する機会になる点が特別だと思います。「人生のマインドフルネス的な役割」ともいえるでしょうか。祝う側の観点だと、定期的に相手を思い出す機会になりますね。

田中

クリスマスやお正月と違うのは、誕生日は「自分だけが特別な日」だということです。

ナカノ

クリスマスやお正月は、個人のための行事ではないですもんね。

nagai

誕生日には、「本日の主役」みたいなタスキもありますよね。

マイ

七五三や成人式の節目の行事は、一生涯というマクロな視点で「今この時点にいるな」という意識ができるけど、毎年来る誕生日は、日々の積み重ねを意識させられるので、もっと個人的です。

ナカノ

なるほど。生涯と日々、目盛りが違う。
個人の存在を確認できるというのが誕生日の特異な点ですが、誕生日以外はないですか?

nagai

何かに優勝した時とか?

マイ

褒められる時は個人が認められる時という気がしますね。だから「認められた日」は特別な日になると思います。

田中

それでも定期的に祝われるのは誕生日だけですね。

ナカノ

人を祝うことって、人を讃えることに繋がりますね。その一方で、友達を祝う時に相手の存在を讃える気持ち以外にどういう気持ちで祝いますか?

田中

遊ぶ口実とか……?

nagai

長い間会っていない友達との生存確認みたいな役割もある。

マイ

プレゼントに手紙を添えて、日ごろ言えない感謝の気持ちを伝えることもできます。

ナカノ

普段できていないことをする日ってこと?

nagai

何かのきっかけとなる日かも。

誕生日と人々

ナカノ

もし自分の子どもに「誕生日ってなんの日?」と聞かれたら、どう説明しますか?

nagai

自分が主役の日。人生の主役は自分であること、自分という個人を再認識するための日って伝えます。

田中

あなたが生まれた日だけど、あなた一人で生きていける訳じゃない。だから、生まれた日という節目は、育ててくれた人たちに感謝を伝える日でもあると思います。

マイ

お母さんとお父さんのところにきてくれて嬉しい、ということを伝えたいですね。自分のことを大切にして生きていくことを意識する日にしてほしい。

ナカノ

誕生日を祝う時、祝われる時、どっちが誕生日を強く意識しますか?

nagai

人を祝う時の方かもしれないです。何日も前からプレゼントのことを考えたりするので。お葬式には遺族の心の整理という役割がありますよね。誕生日は、お葬式の、本人が生きているバージョンと言えるかも。

田中

誕生日は本人を喜ばせるためっていう目的もあるけど、お葬式は本人のためというより、残された人の気持ちの整理とかの面が大きいかも。そういう意味では誕生日は祝われる側の日なのかもしれないですね。

nagai

本人から反応が返ってくるか、こないかの違いかも。

マイ

祝う時は「相手が喜んでくれるか」とか、やはり祝われる立場のことを考えるし、私は祝われて嬉しいという感情がすごく大きいです。

田中

私も祝われる時の方が重要。

ナカノ

nagaiさんの発想だと、誕生日は祝う側の「喜んでほしい」という気持ちで動いていて、祝われる側は受け止めるかどうかという話だったけど、祝われる側も強く意識していますね。
ところで、記憶に残っている誕生日のエピソードはありますか?

nagai

幼稚園の頃、先生が凝った冠を作ってくれて、誕生日会を開いてくれたことが記憶に残っています。「覚えていてくれたんだ!」という気持ちが大きいです。

田中

私は自分が生まれた時刻を母から聞いているので、毎年誕生日のその時刻を楽しみに待ちます。

マイ

友達がサプライズで写真をコラージュにして、プレゼントしてくれたことがあります。唯一無二のプレゼントは一生の思い出ですね。

ナカノ

「覚えててくれた」を、もらったモノで記憶しているんですね。
今回のディスカッションでは、「個人の存在を意識する」ということであらかた意見が一致しました。祝う側、祝われる側の両方に機能と楽しみがあるのが、誕生日の複雑で素敵なところですね。

まとめ

これが、私たちの結論です。

なぜ誕生日を祝うか
→祝う人が、祝われる人の存在を認め感謝するため。
 祝われる人は、祝う人の自分への認識を確認するため。

誕生日は、どんな日か
→一年という期間の中で、自分の存在を考える日。

あたりまえにある「誕生日」は、参加者の皆さんにとって、自分と他者の存在を考える日でした。

皆さんはこの問い、どう考えますか?

こちらもどうぞ。
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中野多恵

編集長。大学院生。芸術コミュニケーション専攻。

好きな言葉:「手考足思」(河井寛次郎)

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