これから考えたいこと [yu-an youthコラボ企画1] /文殊の知恵vol.3

これから考えたいこと [yu-an youthコラボ企画1] /文殊の知恵vol.3

2021年6月27日、yu-an youth さんのイベントにて、ディスカッション&編集イベントを開催しました。企画の目玉は、自分たちが話したことを、自分たちで直接「編集」するということ。この記事は、参加者のお三方が、ディスカッション後、リアルタイムで共同編集したものです。

ディスカッションテーマは「これから考えたいこと」。全く異なるバックグラウンドを持つお三方ですが、それぞれの課題意識が融和し、議論にうねりが生じていく過程が印象的なディスカッションでした。

↓yu-an youth イベントレポートはこちら↓

参加メンバー

北尾さん 京都在住。大学院生。専門は古代ウイルス学。MAJIME ZINEには「素人愛好者による盆栽論/偏愛道vol.2 盆栽」を寄稿。

ナナさん ドイツ・ケルン在住。大学院生として研究しながら、近現代美術館で研究員として勤務。

ユキノさん 京都在住。大学生。専攻は日本近現代文学。

環境問題 SDGsはファッション?

議題:これから勉強してみたいこと、真剣に考えてみたいことは何ですか?

北尾環境問題に興味があります。生き物が好きで、「深泥池水生生物研究会」の保全活動のボランティアを毎週行っています。ボランティアをやっていて難しいと思うのは、人間関係が絡んでいるということ。新しいことを提案しようとするときに、いかに合意を形成していくかに興味があります。

ナナ:サステイナブルな取り組みは未来の美術館を考える時にも重要になってくると思います。私は、美術と環境問題などの社会問題とのつながりに興味があります。美術館は作品保存のため、年中空調管理をしないといけないので、様々な施設の中で最も環境汚染をしているという結果が出ていますし、国境を超えて作品を輸送する際には、エネルギー消費量は増加します。そのため、文化機関を運営する上での矛盾を理解しながら、どれだけ環境汚染対策ができるかを考えています。

また、現代美術はアーティストの思考を通じて環境問題やジェンダーなどの社会問題を可視化できます。美術館は、元来誰もがアクセス可能で、多くの人に影響を与えやすい場です。でも実際には美術館に行くとか、現代美術鑑賞になると敬遠してしまう人がいます。だから、どうしたら社会課題に対する問題提起が多くの人に届くんだろうと考えていて……

例えば環境問題だったら、個々人が環境汚染をしているという意識を高める案を考えました。レストランでのレシートに「あなたがこのお肉を食べたことでこれだけの環境が汚染されている」という汚染値を書いて皮肉るとか……

北尾:ネガティブなメッセージだと、すぐ活動が消えてしまいそうな気がします。グローバルな環境問題に関する提起って、例えば「mottainai」のように周期的に盛り上がる印象があります。現在のSDGsなどのスローガン自体が、どこまで持続するだろうかと疑問に思います。そこに芸術とかのメッセージ発信力がある分野が取り組んでいく必要があるのかなと。

ナナ:確かに。一概には言えないけれど、日本のSDGsはトレンドみたいな感じですよね。

北尾:ファッションなんですよね。

ナナ:そう、今日はビーガン、明日は焼肉みたいな(笑)。ドイツでは食堂でもビーガンやベジタリアンのメニューがありますし、普通のスーパーでもビーガンやベジタリアン、の食品が普通の商品と同列に並んでいて、生活の一部になっている気がします。でも日本だとビーガンやベジタリアンは値段が高くて、おしゃれな人がやる趣味みたいなところがありますよね。

北尾:日本では「一部の余裕のある人のやること」になっているような気がします。

ナナ:その意識を変えていく必要があると思います。

北尾:さっきは、ファッションなんじゃないか、なんて言ってしまいましたが、スローガンは変わっても、グローバルな問題には徐々に関心が集まっていくんじゃないかと思います。ローカルな問題に目を向けてもらうのは、さらに難しい。気づいたら身近にいた生物が絶滅しているなんてことが結構あるんです。こういう身近で起こっている問題こそ、一人ひとりの力で解決する余地が大いにあるのだけれど、なかなか注目を集め続けることが難しい。何か構造的な問題があるのでしょうか。

ナナ:多分、構造上の一番の問題は、学術界の研究結果や議論と世間一般の生活との繋がりが見えにくいことだと思います。トップダウンで知識が広がっていないというか。専門家とそうでない人とのパイプラインをどうしていくかですね……

北尾:研究者はローカルな環境問題に気づいていても、自ら発信する力は弱いです。芸術の人などアピールしてくれる人に提示できる価値ってなんなのかな、みたいなことを考えています。

ナナ:結局は、各々に身近なテーマでないと興味が湧かないと思うんですよ。自分と池の水質汚染や絶滅危惧種との関係を見つけることから始めるとか。いきなり専門的なことを言われてもわかりません。でも例えば直近の例だと、コロナ禍で緊急事態宣言が出されて、今まで疎遠だった政治判断が急に自分たちの暮らしに影響を及ぼすようになって、疑問を持つようになったり。

「罪悪感」を抱く意味とは? -から+に考える 

ユキノ:付加価値を持たせることで初めて関心を持ってもらえるという考え方は確かにありますよね。でも、環境保護は規範的な面で強いもの、「義務」なんじゃないかと。コロナ禍における自粛のように。

現状はしてるとえらいって感覚が強いかもしれないけど、そもそも環境保護って、できたらいい「努力義務」じゃなくて、「義務」だと思うんです。

これから私が勉強したいのは「法と文学」なんです。

少年期、社会を気にしないで生きていられる状態から、教育などを通して法的規範を意識しなきゃいけなくなっていく過程や、罪の意識の芽生え、そこで生じる葛藤が自分のテーマです。

罪悪感のようにマイナスになる負荷をかけることで、「環境問題は、みんなに義務がある分野だ」ということを認識させるのは大事だと思います。それを一人一人に意識させるのは、美術や文学の役割でもあると思いました。

北尾:「罪悪感」という概念を持ち出すのは斬新な感覚ですね。僕は自分たちの活動を常にポジティブにアピールしていかなければならないという強迫観念があったので、目から鱗でした。

ユキノ・ナナ:強迫観念とは?詳しく聞きたいです。

北尾:自分が何かをやろうとするとき、「あなたたちが問題に気がついていないことはダメなんだ」っていうような否定的な論調にするとみんな暗い気持ちになっていくのかなあと。「自分のやりたい方向に持っていくために、みんなの気持ちを暗くしてはいけないんだ」という謎の強迫観念が自分にはあります。

ナナ:問題に直面していくと、ネガティブにはなってくるかもしれませんが、それは新たな問題が見つかるということで、そのおかげで解決策が見えてくるという利点もあると思います。

例えば、日本の場合は社会・政治批判をするアーティストと仕事をしようとすると、彼らの主張が間違っている訳ではないのに、政府関連の機関からは助成金もらえないことがあるんです。難しい問題ですが、「だったらその仕組みをどうやって変えていこう?声を挙げていこう?」と、課題が見えてきます。

ユキノ:環境でも政治でも、政府の功罪は取り上げられる分野ですよね。政府側も自分たちが抱えている罪悪感をポイントにしてアピールされると、阻止する方向に動かないといけなくなるのだと思います。それで、ポジティブな方向に訴えかけなければいけなくなるという構造はある気がします。

北尾:何かに対して罪悪感を煽ると、説教くさくなっちゃう。説教的なものは良くないんだというのもあって無意識に避けているのかも。罪悪感を煽ると言うことは、誰かが誰かを説教すると言う構図につながっているのかもしれませんね。

ユキノ:それで萎縮しちゃって。

北尾:みんな目を瞑ってポジティブな方に持っていっちゃう。

文化が築いた社会的役割 改善するには?

北尾:罪悪感に関して、ジェンダーの話でも感じることがあって。ジェンダーについて話し合う機会があったとき、僕は、男の側が怒られるんじゃないかなって思ったんです。潜在的に、自分が既得権益側なんじゃないかという罪悪感があったんですよ。罪悪感を煽るのは、問題提起の手段にはなるけれど、説教されていると感じる人も多いんだろうなと思いました。

ナナ:自分の存在を否定されているように感じるんでしょうね。

ユキノ:カテゴリーだけで自分が勝手に罪を負わされているという側面もありますしね。

ナナ:例えば、ジェンダー問題を考える時には白人男性は一番の悪と見られてしまいます。ドイツでは、積極的に職場での女性やLBGTQ+、様々な人種の人を採用するなどダイバーシティが推進されているので、私の場合は応募するのにプラスに働きましたが、マジョリティに属する人間は逆に、肩身の狭い想いをしている場合もあると思います。これまで優遇されてきたから仕方ないという考えもあるかもしれませんが、彼らが生きづらくなるのも違うと思うんですよね。

北尾:構図自体を批判したいんだけれど、そこに属する人間を批判することになってしまうんですよね。男と女という話をするとき、「男」という作られている概念を批判するべきであるのに、男である「自分」が批判されているような。でも、これは乗り越えなければいけないことです。

ナナ:既存のシステムに意見する時に、誰かを攻撃するのではなく、社会問題の一つとして同じ目線で話し合えたらいいのですが、それを批判されるとアイデンティティやナショナリティという集合体が傷つけられたように思う人が多いようで……

ユキノ:概念と実際に生きている人間との乖離をいかに埋めていくかという問題はありそうですね。学問は概念の側に傾きがちですが、その間を埋めるのはどんな分野でも共通して大事なことだと思います。

yu-an youth 公式サイト イベントレポートは こちら

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モエコ

副編集長。福井県出身の大学生。日本近代文学専攻。

好きな言葉:「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」
編集部での役割:ねちねち編集、校正、Instagram、諸々のちいさなこと

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