わたしにとっての生活(前編)/ 点綴会vol.1

わたしにとっての生活(前編)/ 点綴会vol.1

本は一人で読むもの。それゆえ読書には「孤独な行為」というイメージがつきまといます。

しかし、本好きならば知っているはずです。「一人の人間」と「一冊の本」との間に紡がれる関係が、どれほど豊かで、情熱的かということを。

だからこそ、 寒さもひとしお身にしみる年の瀬に、私たちは「本を囲んで、暖を取る」ことにしました。その名も「点綴会」(てんていかい)

マジメジンゆかりの読書好き5人が、「わたしにとっての生活」を象徴する本を選び、それぞれ書評を綴ります。

一冊の本をもとに語られる「生活観」に、他のメンバーが疑問や感想を投げかけることで、一人一人が何に命の炎を燃やして日々を生きているか、問い直しました。

歴史、夢の台所、仲間、科学、物語。

テーマもジャンルも異なる5冊を持ち寄り、語らう中で、Zoomというオンライン空間が、5人それぞれの情熱が灯る暖炉に変わっていく様をお楽しみください。

点綴会メンバー

島倉

大学で日本近現代史を専攻。MAJIME ZINEでは 〈第三世代〉戦争再考計画 に参加。

ユキノ

大学で日本近代文学を専攻。MAJIME ZINE編集部。執筆記事はこちら

大木

大学院でデータ科学を専攻。MAJIME ZINEが開催レポートを担当した超分野大喜利の運営者。

ナカノ

大学で美術史を専攻。MAJIME ZINE編集長。執筆記事はこちら

ジュン

大学で文芸学を専攻。MAJIME ZINE編集部。執筆記事はこちら

*後編からの参加。

島倉選書:柳田國男『明治大正史世相篇 新装版』

*参照したのは講談社学術文庫より出版されている『明治大正史世相篇 新装版』です。

柳田國男、『明治大正史世相篇 新装版』、1993年、講談社

江戸時代から近代に移り、変わっていく人々の生活の中で、変わらぬ姿を残す江戸。柳田は、歴史の層に埋もれ、我々の眼前に消える事実を歴史として描いた。近代化以前の消えゆく生活を、記録にとどめようとした柳田の成果。

「わたしにとっての生活」(島倉)

「え?!覚えてないの?!」なんてのが私の口癖だった。人が覚えていない日常の些末を結構覚えている人間だと自負していた。

「よく覚えてるね笑」と言われるけれど、これは寂しいものだった。ある思い出を共有できるはずの旧友が忘却してしまえば、この思い出はもう共有財産ではなくて、私が忘れたらこの世から存在しなくなってしまう、連帯保証人のいない記憶である。

最近、人に言われて記憶の底からようやく引っ張り出されることが多くなった。まだ「あー!そう言えば!」が多いが、よる年波とともに「え?そんなことあったっけ」率が増えることと思う。実は私も気づかぬうちに非常に多くの日常をすでに取り返しのつかない忘却の彼方に追いやっているかもしれない。

私にとって生活は二度と繰り返せない、いつか忘れゆく日常である。今日の思い出もいずれ共有できなくなり、なかったことになる。今の自分に凝縮されているはずだからそれはそれでいいのだが、日常の生活は諸行無常、浪速のことも夢のまた夢。再現性のない日常の一瞬一瞬を過ごすのが少し寂しい。

柳田國男『明治大正史世相篇』には忘れ去られた100年以上前の人々の生活が描かれている。歴史の層に埋もれていく「毎日われわれの眼前に出ては消える事実」がこうして文字になって残っていることを知り、気を強く持った。一方で柳田の言う「時代の音」「村の香・祝の香」「田園の新彩色」とはどんなものだったのだろう。なまじ柳田の存在により忘却を許されなかったかつての生活の存在に思いをいたしてしまう。

今柳田を読み返し、亡き祖父の声や取り壊した祖父母の家のにおいを思い出せない自分に寂しさを覚えている。

対話

においと生活の寂しさ

島倉

においって、「なんか独特な香り」とは覚えていても、実際のものは思い出せない。この前、四つ谷駅で、死んだおじいちゃんに似たにおいの人がいて、ちょっとついていったんです。でも、においを採取するわけにもいかない。生活って、そういうニ度と再現できないものを繰り返していって、少し寂しさを覚える営みかな。

ユキノ

忘れられていくからこその哀愁を感じ始めたのは、何歳ぐらいの頃なんですか。

島倉

中学一年の時、小学校の文化祭に先輩風を吹かせに行ったんです。その時、においで小学校の頃に戻った。思い出したことで、寂しさを感じちゃって。

ユキノ

記録できない寂しさを強烈に抱く人が記録して、みんなに寂しさを思い出させる。(島倉が)歴史学をやっているのはなるほどなと思います。

島倉

皮肉ですね。

忘れられたものは「歴史」にならない

大木

「記憶を忘れたくない、忘れられたくない」という気持ちと、島倉さんが歴史を学ぶところに関係性があるのかなと思いました。

島倉

繋がってると思うんですが、まだ言語化できてないんです。歴史の対象って、書いてあるもの。忘れられたものは、ニ度と歴史には書けない。そう考えると、忘れられてるものが大事だって思いながらも、忘れられたものにアプローチできない歴史学の限界に気付く。

歴史の中の友人

ナカノ

私、ずっと心に残ってる島倉くんの言葉があって。「史料を前にすると『御堂関白記』も人と人だった」。

島倉

最近、自分では卑弥呼って遠い時代の人間だと思ってたけど、卑弥呼が出てきたものを見て、割と近い存在だなと思ったりして。

確かに、忘れなければ友だちも卑弥呼も頭の中にいるから、その点で同じ人。自分に何らかの繋がりがある人かもしれないっていうところで、同じ理解をしてるかな。

デジタル化と寂しさ

大木

今って何もかも残せるようにもなってる気もしてて。携帯の写真とか、一生見ないような写真がいっぱいあるじゃないですか。

その変化と寂しさは関わるものなんでしょうか。

島倉

確かに、柳田國男が生きてる時より圧倒的に残ってる。

でも、例えば卒アルって、全員かしこまった笑顔で、日常の一コマがあんまり映ってない。記録し尽くすことはできないと思うし……。

柴崎

技術が進んだことによって、感覚を稼働させなくても、人と接することができることについてはどうですか。

例えば、Zoomだとおばあちゃんのにおいは覚えられないじゃないですか。

島倉

自分はにおいとかを知ってる人間だから、「え、それダメだ」みたいな感じで言いたいんですが。それで育った人はもうそれで良くて。

多分、Zoomも忘れられていくんじゃないかな。

ナカノ選書:吉本ばなな『キッチン』

*参照したのは福武書店より出版されている『キッチン』です。

吉本ばなな、『キッチン』、1998年、福武書店

主人公(みかげ)は女子大生で、唯一の家族であった祖母が亡くなる場面から物語が始まる。祖母と暮らした家を立ち退かなければならない時、彼女は全く知らない青年が訪ねて来る。祖母の友達だったらしく、みかげはその人の家に居候することになる。彼女は、東京のタワマンで暮らしながら立ち退きをし、一度は引き取られた先で暮らし始めるが、また次の場所を目指し動き始める場面で物語は終わる。

わたしにとっての「生活」(ナカノ)

生活は不思議なもので、どこへ行ってもそこにある。

私にとって生活とは、人生という軸に個々の時間をマークするものだ。通学路、宴会、公園……記憶が一つの時間をリアルなものとして浮かび上がらせる。

『キッチン』の主人公みかげは、冒頭、台所で寝る。唯一の家族・祖母を亡くし、「涙があんまり出ない飽和した悲しみにともなう、やわらかな眠けをそっと引きずって」台所へ行くのだ。

彼女にとって台所は、生活そのものだ。

この物語には、二つの台所が登場する。

一つ目の台所は、祖母と住んだ家のもの。眠る彼女を繭のように包み、朝まで送り届ける。
二つ目の台所は、彼女が「引き取られた」母子家庭のもの。彼女はその台所を「ひとめでとても愛した」。よく使いこまれていて、「妙に品のいい」食器がある。

しかし彼女は、引き取られたその家で、いつも「別れ」を思っている。次はどこで生きるのか。

「神様、どうか生きてゆけますように。」

私はこの本を開くたび、彼女が漠然とした淋しさをひとり抱えながら、彷徨っていることを確認する。
そして、みかげと励まし合うのだ。きっと見つかる、「夢の台所」。

対話

台所には誰かの気配がずっとある

大木

島倉くんの続編なんじゃないかっていうくらい近しい話ですね。記憶が台所っていうのが、すごく面白いな。なんで台所なのかが気になりました。

ナカノ

最初の場面でみかげが、なぜ台所が好きかを語るんですけど、彼女は輝く台所も、スリッパが真っ黒になる台所もたまらなく好きだって言っていて。

台所には人の気配みたいなものがある。タイルを磨いた人、野菜を落とした人を、感じられるのかな。

いつも想う「ここではないどこか」

ユキノ

同じ作者の『白河夜船』(1998年、福武書店)も亡くした人を思い出させてくれる場所が出てきて、この場合はベッドなんだよね。『白河夜船』も 『キッチン』も、場所と喪失は作家の大事なテーマなんだろうね。

ナカノさんも近い感覚があって「キッチン」を選んでるんですか。

ナカノ

私は、いつも「ここではないどこか」を思ってる気がします。「どっか行くんだろうな、今はここにいるんだろうな」っていう感覚。

ユキノ

「ここではないどこか」っていう感覚が、夢の台所につながってくるのかな。

ナカノ

あ!まさに。今いる場所が、居心地悪いわけじゃないんだけど。 どこで生きるかによって、自分がすごく影響される気がする。

島倉

でも、どこもなにか違うんだね。

ナカノ

そう。

私が私になれる場所

ユキノ

(場所から)簡単に影響されて変わっちゃうから、かけがえのない場所が大事になってくる。それって、マジメジンじゃない?

ナカノ

うーん。食べて寝て起きる場所の中で、一番自分らしくいられる場所を探している感じかな。夢の台所が見つかれば、私は私になれるんじゃないか。そういう希望的観測なのかもしれない。

大木

この人、夢の台所で生きてるな、って思う人いるんですか。

ナカノ

難しいですよね。

ユキノ

スナフキンは?こないだ(ナカノが)「私はスナフキンだ!」って言ってたのを思い出した。

ナカノ

やだな。記憶が他の人にあるって怖い(笑)

島倉

だから忘れちゃダメなんだよね。

夢の台所はミクロに作る? 

島倉

ナカノさんが前近代の、村に縛られた人だったらどう生きてたんだろうな。

ナカノ

夢の台所って、場所だけじゃなくて。

例えば、この塩はどこに置くのが一番いいだろう、とか。ミクロな単位から考えることもできますよね。だから、前近代なりの夢の台所を探してた気がします。

大木

そうなると、夢の台所って作るものみたいな感じもしてきます。

周りの人やにおいなど、すべてをコントロールできるわけではないですよね。 でも、塩を然るべきところに置くみたいなことであれば、夢の台所は、作ることができる側面もあるのかな。

ナカノ

すごくわかるな。自分で作ることはできるけど、全部自分の思い通りになるのも寂しいんですよ。

島倉

そんな台所ってないから、結局寂しいままなのか。

ナカノ

だと思うな。私はキッチンを読むと、一緒に探してる人がいるな~って思って、安心するんです。

ユキノ選書:古舘春一『ハイキュー!!25』「第217話 返還」

古舘春一、『ハイキュー!!25』「返還」、2017年、集英社

2020年まで少年ジャンプで連載された高校生のバレーボール漫画。
第25巻は、主人公2人が夢の全国大会を目前に、武者修行を重ねながら、苦手なサーブや中学時代のトラウマを克服していく「乗り越え」の巻。
第217話では、宿敵・青葉城西高校の国見英の「楽する」プレイスタイルに「みんな一生懸命やってんのに」との不満の声があがる。しかし主人公・日向はむしろ、国見のスタイルに真価を見出す。

わたしにとっての生活(ユキノ)

日向が発する、「楽していこうぜ!」が私の生活のモットーだ。料理はレンジ中心。洗い物を減らしたいから。洗濯物は極力ハンガーで回収。畳みたくないからだ。

「やる気がない」という人もあるだろうが気にしない。限度を超えた無理をしないことが肝心なのだ。

国見を見てコーチは言う。「自分が積極的に“楽”をしようとするパスはそれを託した相手も“楽”にする」と。

楽を追求する分だけがんばりやの人たちを楽にしたい。

私と国見タイプは、人の限度を越えた「情報化社会」の帳尻合わせでやってきた、「誰も置き去りにしない社会」を目指す今こそ、大いなる価値を発揮するのだ。

そう真顔で言い切って、私は今日も、ゆるくいく。

対話

「楽」をするのはなんのため?

ナカノ

楽をしていくっていうモットーは、元々持っていた?読んで気づいた?

ユキノ

後付け。私は人より疲れやすいのに、人並みの生活をしようと頑張っていた時期が長かったんですけど、最近、無理しなくていいって気づいて。その根幹にあったのがこの漫画だったんです。

大木

楽しようと思うきっかけがあったんですか。

ユキノ

就活で、無理がきかないと悟ったことですかね。

受験生の頃は、持てる時間の全てを勉強に注ぐのが正しいと思って、通学路で英単語を開いたりしてたんですけど。ずっと就活しかしないと、病むなって気づいて。高校時代、無理をしすぎて人に優しくできなくなった自分がいたのも思い出した時に、その反省も込めて、私は無理がきかないから、楽をしてみようと思ったんです。

25巻は、「ハイキュー」の乗り越えの巻ですけど、私にとっても、失敗を乗り越えさせてくれるような話です。

ナカノ

優しくなるために楽をするって、矛盾してるようで、とっても合理的。

ユキノ

実は友達が言っていたことです。「自分を大事にしなきゃ、周りの人も大事にできない」っていう子が大学にいて。

大木

国見くんの楽するプレースタイルとか、友だちから言われたことで楽になった自分が、また人を楽にしようとするところが、連鎖してて素敵だなと思いました。

バレーボール漫画らしい「連鎖」

ユキノ

連鎖っていうワードが嬉しいです。ハイキューのテーマの一つが、「バレーボールは、繋ぐ競技だ!」なので。この25巻は、そのテーマが感じられるんです。

実は、国見くんは、もう一人の主人公、影山くんの中学時代のチームメイトなんです。影山くんは実力はあるけど、中学生の時は、「お前らなんで俺についてこれないんだ!」って怒る「王様」だった。中学最後の試合で、国見くんたちにそっぽ向かれたのが影山くんのトラウマなんです。でもこの話で、一見やる気がない国見くんは、実はチームのみんなに楽をさせてあげる役割をしていたことを知るんです。そういう連鎖が面白い漫画です。

大木

国見くんのスタイルに真価を見出して、連鎖を受け取った日向くんは、どうなって行くんですか。

ユキノ

日向くんは、十分周りのこと考えられるようになった影山くんに、王様に戻ってもいいんだぞ、って新しい王冠をあげるんです。国見くんが25巻の最初に出てくることで、影山くんの過去の整理整頓につながっていくんです。

「楽する」も「頑張る」も、両方大事

島倉

“Take it easy“(気楽に行こう)ってアメリカ人とかが言うのを思い出して。日本人は楽するのを許さない風潮があるから、こういう考えが広まるといいな。

ナカノ

ただ、頑張ることで安心することもあるよね。バスで英単語を読むことは、英単語を入れることよりも、安心することに意味がある人も多いと思うけど、頑張らなくなったユキノはどこで安心してるのかな。

ユキノ

人生の中にはバイオリズムがあるから。休んでもいい時と頑張ってもいい時は、体調、気候、仕事によって全然違うはず。

ナカノ

その棲み分けが理解できたみたいな?

ユキノ

そう!「頑張らない」と「頑張る」の切り替えが上手になった感じですね。私は元々、楽していくタイプの人間なんですよね。けど、中学時代の部活で自分ばかり楽しようとし続けたのを反省して。反動で高校時代、頑張る頑張るってなって。今、バランスが取れはじめた。

ナカノ

高校の反動でまた楽をするんじゃなくて、バランスタイプになったっていうのがいいね。

後編につづく……。

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ナカノ

編集長。新潟市出身の大学生。美学芸術学専攻。

好きな言葉:「手考足思」(河井寛次郎)
編集部での役割:ざくざく編集(記事の骨組みをつくる)、寄稿、企画会議での数出し係、Twitter中の人

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