においは導く/点綴会vol.2

においは導く/点綴会vol.2

今回お送りする記事は、テーマに沿った一冊を選んで書評を綴り、それぞれの角度から切り込む「点綴会」(てんていかい)。
第2弾は「におい」です。

春は、出会いと別れのシーズン。マジメジンメンバー数名も大学を卒業。
懐かしくて離れがたくて、それでも前に進まなければなりません。

それゆえに、誘われる未来の「におい」も、封じ込めておきたい過去の「におい」も、一段とぷんと香り立つのです。

そんな、哀愁と期待を背負い桜が開花する三月に、三冊の本を持ち寄り、「におい」観を綴った記録をお届けします。

今回の点綴会メンバー

島倉

大学で日本近現代史を専攻。MAJIME ZINEでは 〈第三世代〉戦争再考計画 に参加。

ユキノ

大学で日本近代文学を専攻。MAJIME ZINE編集部。執筆記事はこちら

ナカノ

大学で美術史を専攻。MAJIME ZINE編集長。執筆記事はこちら

島倉選書:コミック版『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』

高田ミレイ 画、臼井儀人 著、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』、2010年、双葉社

しんちゃん映画の中でも、「アッパレ!戦国大合戦」と並んで、特に評価の高かった「モーレツ!オトナ帝国」の完全コミカライズ作品。未来への夢や希望に溢れていた20世紀的な生活でこの世を埋め尽くそうとする組織“イエスタディ・ワンスモア”に未来を取り戻すための戦いを、しんのすけが開始する。

Amazonより引用

「においは導く」(島倉)

厳密な物理学で考えれば時空は歪んでいるのであろうが、普通に生きている限り、時間は一方向に、未来へ未来へと進んでいく。嫌だ嫌だと駄々をこねても時間は私たちを未来へと引きずっていく。そんな容赦ない時間の流れに抵抗する唯一の手段は自ら時間からドロップアウトすること、命を絶つことしかないのだろう。

21世紀最初の年である2001年、大人たちが20世紀のにおいというもので洗脳され子どもに戻ってしまった。大人たちは自分の子どもを捨て、20世紀のにおいのたち込める懐かしい世界(オトナ帝国)に閉じこもった。オトナ帝国は未来よりも過去に残る選択をした大人たちだけで構成される、本当の子どものいない異様な空間であった。21世紀は2001年に失われてしまったのである。

これは「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」という映画の序盤である。映画は基本的に人に勧めないのだが、これは勧めてもいい。というのは、基本的に子ども向けのギャグ映画だから、老若男女理屈抜きで面白いと思うからだ。だが、それは決して理屈がないということではない。映画の説明が最小限である分、多くの裏読みの余地がある。「におい」で考えれば、20世紀のにおいに洗脳された人々は死ぬことなく一方向の時間の流れに抵抗できたことになる。人間はにおいで時間に逆行できるのか。四ツ谷駅で祖父とよく似たにおいについていった私は、一瞬であるが、未来へ進む時間の流れに逆らっていたのではないか。

大人たちを洗脳した悪の組織のリーダーは「人々は夢や希望に溢れていた、21世紀はあんなに輝いていたのに、今の日本に溢れているのは汚い金と燃えないゴミくらいだ」と語った。あのとき洗脳された大人たちは確かに未来を捨てたのである。それから22年、私たちは子どもの頃の「平成のにおい」を嗅いだとき、懐かしさを振り払ってなお未来へ進むことはできるだろうか。

においが呼び覚ます懐かしさ

ユキノ

(島倉は)映画をいつ観たんですか。

島倉

小2、3くらいだったかな。その時は懐かしさを知らないから大人たちが懐かしさって言う謎の感情に囚われるホラーだったんだけど、大学生になった今は違った見方ができるようになった。 人間誰しも懐かしさには弱い。 においと懐かしさって結びついていて、普段は抑え込んでるそれを引っ張り出してしまうのがにおいなんだなと。

ナカノ

記憶を呼び起こすブースターみたいな。

島倉

そうブースター!プルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌみたいな感じ。マドレーヌの味で記憶を思い出して失われた過去へ行っちゃう。

ナカノ

時間軸が一直線に進んでいくことを前提として話しているけど、本当に時間は一つの方向に向かっていると思う? 歴史は繰り返す、なんて言葉もあるし、今日より明日自分が成長しているというわけでもないよね。

島倉

あえて時間を過去現在未来と単純に考えてみました。時間の考え方は難しいし確かに循環する時間もあるけれど、人にとっての時間ってやっぱり、もう過ぎ去った時間とまだ来ない時間だと思う。そしてにおいは、「あの頃あそこで嗅いだにおいだ」、「あの人のにおいだ」っていうふうに思い出に結びつくと思うんだよね。

ナカノ

においは個人の歴史に機能するブースターなんだね。

島倉

(においに) 一般性はないよね。 平成のにおいっていうのもみんな違う。

大人だって子どもでいたかった

ユキノ

何が懐かしさのブースターかは、人それぞれですよね。コロナ禍、マスク越しにしかにおいを嗅げない時代が来ましたが、マスク越しでも、においの記憶って残ると思いますか。

島倉

マスクにもにおいがあるじゃないですか。マスクのにおいを嗅いだ瞬間、大学生の頃を思い出すかもしれない。大学生の頃に一番嗅いだのって、もしかするとマスクのにおいじゃないかな。

ユキノ

いつか我々も「マスクのにおいが立ち込めるオトナ帝国に戻りたい!」と思う日が来るのかも。変化が多い今、放送されたらもっと流行ってたかもしれませんね。

島倉

でも2001年だからよかったというのはあります。大人たちが20世紀への名残り惜しさがあったのかなって思うと。大人たちは子どものままでいたいけど、子どもたちが未来へ連れ出すから仕方なくいいよ、って言うんですよ。一度子供に戻しておいて大人であることを強いる。「(大人に)なんてものを見せるんだ!」って思います。

ユキノ

子ども向けなのに(笑)

島倉

何が残酷かって、一回懐かしさを思い出してしまうこと。甘い蜜を吸った上で、懐かしさを押し殺して未来を生きていかなくてはいけない。

ユキノ

フィクションに濃縮されてる現実って感じだ。

島倉

怖い話ですね。においにはそれぐらいのパワーがあるということです。

ユキノ選書北村薫『六ノ宮の姫君』

北村薫 著、『六ノ宮の姫君』、1999年、創元推理文庫

最終学年を迎えた〈私〉は、卒論のテーマ「芥川龍之介」を掘り下げていくかたわら、出版社で初めてのアルバイトを経験する。その縁あって、図らずも文壇の長老から芥川の謎めいた言葉を聞くことに。王朝物の短編「六の宮の姫君」に寄せられた言辞を巡って、円紫師匠の教えを乞いつつ、浩瀚な書物を旅する〈私〉なりの探偵行が始まった。

Amazonより引用

「においは導く」(ユキノ)

実家のチワワは、暇さえあれば、通りに面した窓にクンクン鼻を寄せて、散歩中の友だちを探している。彼を見ていると、嗅覚は「仲間探し」のために発達したのだろうかと思う。

私にとっての読書も同じである。無数の本からたった一冊を選び、ページをめくる最中に研ぎ澄まされる無意識の嗅覚というものがある。それは文字の海から出会うべき「なにか」を手繰り寄せようとしている証なのだ。

私の卒業論文は、本に導かれた出会いの集積だった。

これ、と決めた芥川の作品と同じタイトルの小説が、まさに我が家にあって電撃が走った。北村薫 『六の宮の姫君』。10年前、父の上司からいただいたが積読していた本だ。私と同じく、芥川龍之介の「六の宮の姫君」を卒業論文に選んだ大学生の謎解きミステリー。芥川は自死で人生を終わらせるが、「六の宮の姫君」を執筆した時期は、死に至らしめた神経衰弱を発症して絶筆しようかと志賀直哉に相談するほど思いつめていた。それでも、その時の彼が生き延びて、小説を遺した理由とは。読後、避けられない別れを知りながら出会い、生きることの寂しさと美しさに胸打たれる。

そして、卒論を書き終えた今、この本は私に欠かせない出会いだったと確信できている。

芥川の避けられない別れと出会い

ユキノ

島倉くんは、過去の中に自分の大事なものとの関連を見出す話だったけど、私はこれから出会うものの話です。 鼻って、器官の中で一番先端にある。だからこそ、先にあるものの中に見知ったものを探るための五感が、嗅覚なんじゃないかなと思って。

島倉

自分は正解を見つけたつもりだったけど、(ユキノは)全然逆のアプローチで、なるほどな、と。

ナカノ

「避けられない別れを知りながら出会い、生きることの寂しさと美しさ」っていうのは、(芥川ではなく)北村薫さんの方の『六の宮の姫君』のことかな?

ユキノ

そうですね。北村薫の『六の宮の姫君』の主人公の卒論によって謎解きされる原作の誕生秘話がそれなんです。主人公も私と同じ、卒業間近の大学四年生。出会いと別れの時期にいるからこそ、今まで出会ったもののにおい全部嗅ぎ集めて覚えていこうという感覚になる小説です。皆さん、今の時期、嗅覚が敏感になる気がしませんか?

ナカノ

転ばぬ先の杖じゃないけど、未来を考えずに人と付き合えなくなっていく感覚はあります。別れとか、未来を考えながら今を生きていて、現在と未来が平行線で進んでいく感覚が年々増してる。 別れを知りながら出会うから、その出会いは美しくて哀愁があるんだよね。

転ばぬ先の「縁」

島倉

(ユキノは)芥川の『六の宮の姫君』と、どういう嗅覚で出会ったんですか。

ユキノ

きっかけは友だちから借りた山岸涼子さんの短編集です。『六の宮の姫君』を基にした「朱雀門」っていう作品があって。「辛いこともやりきらないと、往生できなくていつまでも彷徨うはめになるからやった方がいいよ」という教訓話。いろんな本と人との出会いの集積としてある作品ですね。

島倉

縁がつないでくれた作品なんですね。

ユキノ

そう、縁。縁とにおいって、私の中では似てるんだよね。 未来は怖いけど、その中でもこれは掴んでおこうという感覚。 「あ、これは出会うべきものだ」という標が私の思う「におい」ですね。

ナカノ

私が紹介する本は、ユキノと同じく、卒論関連です。 私のにおいは、ちゃんと嗅げる方のにおいで選びました。

ナカノ選書ポール・ゴーギャン『ノア ノア』

ポール・ゴーギャン 著、岩切正一郎 訳、『ノア ノア』、1999年、ちくま学芸文庫

ポスト印象派の画家として有名なゴーギャンのタヒチ島滞在記。画家が滞在した1891~93年のタヒチ島の様子や画家自身の心情が、画家の一人称で綴られている。

「においは導く」(ナカノ)

『ノア ノア』の著者ゴーギャンは、ゴッホとアルルで共同生活を送ったことから「天才の脇役」として知られていることが多い。しかし、ゴーギャン自身の人生にフォーカスすれば、ゴッホに劣らない波乱万丈な人生であったことは誰もが認めるところだろう。

ゴーギャンの人生は、とにかく移動が多かった。

パリ、リマ、リオデジャネイロ、コペンハーゲン、南仏……幼少期から晩年まで各地を飛び回った。そして、最後に彼が行き着いたのがタヒチ島であり、その滞在記が『ノア ノア』である。

ゴーギャンが初めてタヒチ島へ足を踏み入れた島の首都は、フランスによって植民地化されており、それを見た画家は落胆した。なぜなら、画家はパリの文明生活から逃れて島へやってきており、想像した「タヒチらしいもの」がそこには無かったからである。

それでも画家はあきらめない。またも文明から逃れようと、島の奥地へ移動する。しかし、画家を待ち受けたのは魚も果物も採れないことに起因する貧苦であった。

しかし、画家は現地民に助けられながら生活を築いていく。日が昇れば仕事をし、日が落ちれば星を見る、「単純な生活」である。

同著の題「ノア ノア」は、その生活の描写で度々登場する。画家は、タヒチ語で「かぐわしい香り」を意味する同語を、フランス語に訳さない。その「におい」には、翻訳できない/ したくない深みがあったのだろう。

絵には描けないその「におい」を、画家は言葉で書き出した。言葉の深みを理解する、芸術家の感性を想う。

においを残そうとした画家

島倉

においって残せるんですね。失礼いたしました。

ナカノ

香りを意味するフランス語ではなく、ノアノアという現地語を使うことから、タヒチのにおいが画家にとってどれだけ強烈だったかがわかります。同時に、「におい」をどのように描けばいいのかという苦悩まで見える気がして。

島倉

ノアノアって、「タヒチらしいにおい」って意味じゃないの?

ナカノ

タヒチらしいにおいだとは思うんだけどね。 卒論で「ノアノア」っていう言葉がどこで出ててくるか数えたんだけど、大体、花と女性が登場するところに出てくるんですね。花と女性がタヒチを象徴するものだというところには、白人男性のタヒチへの偏見も嗅ぎ取れるけど。 ただ、香りだけじゃなく、その香る「元」をイメージさせるのが大事だったのかなと思います。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

ユキノ

「ここにしかないもの」へのゴーギャンなりの希求が、ノアノアをあえて、その言語でしか書かないところに表れてるのかなと思ったんですが。 前回の、ナカノさんの夢の台所みたいな感じなのかな。

ナカノ

よくぞ言ってくれました。そう、前回からの繋がり、「ここではないどこかへ」シリーズです。でも、においって情報量が多いから、 簡単には言語化しがたい。それは島倉くんが言ってくれたような、過去を思わせることだったり、ユキノが言ってくれた未来を嗅ぎつけることにつながってくるんだと思うんだけど。

*前回の「点綴会」(わたしにとっての生活(前編)/ 点綴会vol.1)で、ナカノは吉本ばなな『キッチン』を選書。

ユキノ

夢の場所を探しすぎると貧苦に行き着くって、怖い話だ。

島倉

「ゴーギャンのタヒチ」はなかったんだね。

ナカノ

なかったと思います。実際ゴーギャンはこの後、パリへ戻ります。だけど、フランスにもいられなくてタヒチに戻っちゃう。それでもやはり、タヒチの生活も苦しくて、お金もない、絵も売れない、もう自殺しようと決めた直前に描いたのが、一番有名な《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》という超大作なんですね。

ユキノ

このタイミングで、そのタイトル持ってくるのか。

ナカノ

ゴーギャンの人生の結論としてはたぶん、「ここではないどこか」はどこにもなかったということなんだけど。でも、私はゴーギャンが「におい」を残してくれたのが嬉しかった。やっぱりにおいって深淵で、昔から人間が魅せられてきたものを教えてもくれるんですね。

ユキノ

ゴーギャンはタヒチでつくった奥さんも絵に書いてたけど、奥さんがいたのにタヒチが 「ここではないどこか」ではなかったっていうのが‥‥‥。

ナカノ

そうね。女性はフランスにもいるのにタヒチで妻を娶って。さらに、二度目のタヒチ島滞在でも新しく妻をつくる。 エゴイストと断罪するのは簡単なんだけど、あまりにも人間臭いっていうか。

ユキノ

ここにもにおいが出てきましたね。人間臭い。

ナカノ

あ、確かに。

ユキノ

甘い蜜のにおいに誘われてフラフラいっちゃう蝶みたいな。あっちに魅せられ、こっちに魅せられ。もしかしたら人間臭い人って、嗅覚が敏感すぎる人なのかも。

次回の点綴会のテーマは、「曾根崎心中~これは恋?愛?~」です。

前回の点綴会(「わたしにとっての生活」)の記事はこちら。

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ユキノ

京都在住の大学生。自由と混沌をこよなく愛する牡牛座の21歳。
専攻は国文学、研究作家は芥川龍之介。

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