no title #2 5月、身体への一考察。

no title #2 5月、身体への一考察。

 私はホモ・サピエンス。忘れていたけど、そういえばそうだった。

 弱肉強食の生態系の中で決して強者とは言えなかったヒトは、火を利用する力や団結力でのし上がってきたらしい。その過程で草を食べ、肉を食べ、加熱し、走り回り、動物に乗り……自動車に乗り、光る板をたたきまくり、ストレートネックになり……と、時間と共に生活も身体もしたたかに変化してきた。

 一人のヒトをとってもそうである。生まれたときから「よっこいしょ」と重たい頭を首にのせ、内臓が発達し、筋肉が発達し、体毛が生え、思春期には性別によって変化の仕方も分かれてくる。

 しかし、20歳になり便利な街に住むようになってみると、自分がヒト科の動物であることも忘れるくらい、ぐんぐん変わりゆく身体を感じることもなくなった(そういえば「成長痛」なんてあったよね)。大学と家の往復の毎日ではコンクリートで塗りこめられた道を、もはや踏みしめるという感覚もなく歩き、某山岳漫画の主人公が「街にいると、歩いていることを忘れる」と言っていたことにもうなずける。

 私はありがたいことに病気もほとんどなくここまで生きてきているし、恥ずかしながら踏みしめる大地のない毎日の中で、身体を想い、対話する時間はほぼなかった。

 だが私は、突然自分がホモ・サピエンスであることを思い出し、身体を思い出した。なぜか。

 身体に穴をあけた。

 より詳細に言うと、ピアスをはめるために耳たぶに小さな穴をあけたのだ。この小さな穴は、私に身体を思い出させた。なぜなら、「身体を選択した」と実感した初めての経験だったからである。

 これまでの成長過程では、よく食べ、よく寝れば、変化が起こった。しかし、それでも身体に穴は開かない。この度はじめて、自分の自由意志のもと、身体に変化を起こしたのだ。

 思い返してみれば、「身体を選択した」同年代の知り合いは、どんどん増えている。

 全身の体毛を抜き去るヒト、プロテインを飲み発達した筋肉を得たヒト、動物性の栄養を身体に取り込まないようにするヒト、理想に近づけるため顔の形を変えるヒト……

 身体はしたたかに変化し続ける。しかし、その舵はいつの間にか私たちの手の中にあった。人生100年、この舵を握り続けなければならない。少し手が汗ばむが、いつも身体はここにある。

 「どう生きる?」

 そう問うていたのは、自分だけではなかった。

photo : ナカノ

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中野多恵

編集長。大学院生。芸術コミュニケーション専攻。

好きな言葉:「手考足思」(河井寛次郎)

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