no title#11 旬
誰もがわたしを化石にしても
貴方に生かして貰いたい
これ以上誇りで塗れない様に
誰かが貴方を誉めそやしても
わたしは姿勢を崩さない
それ以上噂で汚れない様に
生きているうちはずっと旬だと そう裏付けて
充たして いまを感じて覚えて何時もより
生きて、生きて、活きて居よう
―椎名林檎作詞・作曲「旬」より
「旬の食材を使って―」「今の旬のものは―」…秋になると良く聞く言葉である。
「旬」―魚介、野菜、果物などがよくとれて味の最も良い時。
いわゆる食べごろということだ。人間からすると魚や野菜がおいしく食べられるのだから「旬の食材」というと心地よい響きがするものだが、当の野菜や果物からすると、そんなことは知ったことではない。
だがしかし、野菜や果物に旬があるように、生きとし生けるものには旬がある。そうだとすると、人間というものは「旬」を迎えるのだろうか。
椎名林檎嬢の楽曲、「旬」を聴いて、ふとそう思った。
食材たちは、過ぎゆく時間の中で、自分たちの最も熟れる季節を迎える。では、私たちはどうだろう。
時間を軸として考えるのであれば、「適齢期」みたいなものはある一種の「旬」だろう。
労働、結婚、子を成すこと…
―「適齢期」というものは、社会から見るといわゆる「食べごろ」で、社会から必要とされる「季節」を表しているのだろう。
では、旬が過ぎた食材はどうなるのだろうか。味が落ちるだろうから、他の「今が旬」である食材に主役の座を取って代わられる。例えば、夏に食される鱧や茄子が、秋になると秋刀魚や柿にその季節の主役の座の象徴を退くように。
人間も、そうなのだろうか。
いや、そうではない。
そう信じたい。
「あなたはまだ若いんだから…」「私なんてもうそんな年じゃないわよ。」
適する年齢というものに縛られ、自ら主役の座を退いてゆく場所で、ものを見た。
今この時代、少しずつ変わりゆく季節に相反して、主役の座の象徴は目まぐるしく変動する。
人間にとって時間は有限だ。だからこそ、時代の主役の象徴の座とは別に、「生きているうちはずっと旬だと」裏付けたい。たとえ老いさらばえて、「適齢期」を過ぎても、自分自身が主役の座の象徴でなくなってしまったとしても、今ある人生の一瞬一瞬、輝き続けていたい。
「今」というものが一番の「旬」だからこそ、人は輝き活き続けるのだと私は思う。
生きているうちはずっと旬だと そう裏付けて
充たして いまを感じて覚えて何時もより
生きて、生きて、活きて居よう
ジュン
大阪出身の大学生
専攻:美学芸術学―文芸学
好きな言葉
「冬がなければ、春をそんなにも気持ちよく感じない。私たちは、時に逆境を味わわなければ、幸福をそれほども喜ばなくなる。」―シャーロット・ブロンテ
編集部での役割
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