HISTORY / 第1号vol.2

HISTORY / 第1号vol.2

この記事は紙媒体のZINE第1号に掲載したものです。今回のテーマは「歴史」。編集長ナカノによる文章です。

私は大学生になり、地元を出、一人暮らしにも慣れて、一人でいることにもやっと慣れた。

 周りにいる人びとは、四月に出会ったばかりで、私の属するコミュニティはすべて三月には想像できなかったものだ。


 小学校と中学校は、だいたい家が校区に入っている学校へ行く。だから、多くのひとは、たまたま家の近くにあった小学校へ行って、たまたま家の近くにいた同い年と友だちになって、中学校で少し広がった「家の近く」の同い年と友だちになる。
 

 高校では、たまたま学力が同じくらいの同い年と友だちになって、大学は、学力に加えてたまたまやりたいことが同じだった同い年と友だちになる。そもそも、同い年というのも、たまたま同じ年に生まれた、それだけのことだ。

 つまり、偶然出会うことになった人びとと、コミュニティをつくる。
そして、そのコミュニティの色ができていく。

 
 しかし、すべてのコミュニティが持つそれぞれの色だけでなく、同時に、ある種の一般性も持ち合わせているとも思う。

 
 たとえば、今私のまわりにいる友だちの中に私と同じ土地の出身はいない。だからもちろん、私の小学校時代の友だちを知る人もいない。だが、私たちは小学校時代の話をすることができる。私の初恋は小学校にあった(と記憶している)のだが、「こういう男の子を初めて好きになった」、というようなエピソードを今の友だちとの笑い話にすることができるのだ。

 冷静に考えると、とても不思議なことではないだろうか。その男の子のことも、こういう男の子という短い修飾語の情報だけで、私たちは最低限会話が通じる程度の、その男の子の共通のイメージを簡単に持つことができてしまう。

 
 それはたぶん、ひとを特徴である程度分類する、一般的なルールがこの世の中に蔓延しているせいだろう。それは「キャラ」、と言いかえることができるかもしれない。

 このルールは、学校をこえる。地域をこえる。

小学校の頃は、こういうキャラだった。中学生のときは、高校生のときは…。こんなふうにその時代を形容できるなら、そのひとが編んできた「歴史」はとても簡単で、単純なものに思えてしまう。

 しかし、

ひとの「歴史」は、思ったよりもずっといろいろなことがあったはずであり、そのキャラに対して「らしくない」感情があふれ出した、笑いや涙も多くあったはずだ。

 そして、その濃密な「歴史」を通してはぐくまれたひとの人間性は、思ったよりもっと豊かで複雑なものだ。「キャラ」という枠組みで、その人を定義できるほど単純ではない。


 「キャラ」という役割を持っていると、そのコミュニティの中での立ち位置が保証されたように感じられて、安心する。実際、その「キャラ」をみんなそれぞれ守る努力をすることで、保たれているコミュニティもあるだろう。人間関係は、難しいのだ。

 
 でも、その「キャラ」は、自分の一面にしか過ぎないことを、自分だけは決して忘れたくないとも思う。


わたしには、わたしにしかない「歴史」があるから。

第1号(2019年12月27日発行)に掲載。

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中野多恵

編集長。大学院生。芸術コミュニケーション専攻。

好きな言葉:「手考足思」(河井寛次郎)

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