プロ /第2号寄稿vol.2

プロ /第2号寄稿vol.2

この記事は紙媒体のZINE第2号に掲載したものです。今回のテーマは「プロ」。月岡耕太郎 さんによる寄稿文です。

今現在、第三次人工知能ブームはその盛りを迎えAIは急速な発展を遂げている。そんなAIブームの波は、私の趣味である囲碁にも多大な影響を与えた。
 

 数年前までは囲碁のAIはまだまだ発展途上であり、「AIが囲碁において人間を超えたら、世界が滅亡するだろう」なんて豪語していた囲碁棋士もいた。しかし、2016年3月、世界トップクラスの棋士であった李世ドル九段が囲碁AIのひとつ、『アルファ碁』と五番勝負を行い1勝4敗と負け越したのを皮切りに、AIは破竹の勢いで人間を抜き去っていき今や人間がAIから囲碁を教えてもらう時代になっている。

 そんな時代で、「AIに勝てない棋士に存在意義はあるのか」という疑問は当然出てくる。確かに指導碁(注1)や新型研究(注2)などは無料の囲碁ソフトであるLeelaZero(注3)を使えば解決する話であるし、棋力もAIのほうがはるかに上である。では、

 棋士の存在意義は本当になくなったかのように見えるが、実際はどうなのだろうか?

 まず、棋士、ひいては一般に「プロ」と呼ばれる人の存在意義とは何だろうか?

自分が行う競技の普及?スポンサーの宣伝?など様々な存在意義が考えられるだろうが、最も核となる部分、プロの本分とは「人間の際限ない限界に挑み続け、人々を魅了する」ことであると思う。ここで重要なのは、人間が人間の限界に挑み続けるということである。例えば、「どんなに高難度の曲でも人間より正確に、美しく演奏するAI」の演奏を聴いているシチュエーションを想像してみて欲しい。どうであろうか。感動するだろうか。少なくとも私は感心こそすれ、感動は全くしない。逆に、人間の音楽家がたとえミスをしたとしても、鬼気迫る集中力で演奏していた方が、はるかに心動かされるだろう。

 囲碁が趣味の私は棋士の対局姿(あなたにとってそれは、他の道のプロかもしれない)や、棋譜(注4)から、自分と同じ人間が時には感情的になりつつ、もがき苦しんで、人間の限界に挑戦し続ける様をありありと感じ、心動かされ生きる力を貰っている。AIの対局姿、棋譜には決して心動かされないし、生きる力なんて絶対に貰えない。そういう意味でAIが棋士より強くなったからと言って棋士の存在意義は決して薄れたりしないだろう。

最先端の技術を駆使して作られたAIのおかげで、面白いことに江戸~昭和時代によく打たれていた手が見直されている。つまり、温故知新である。例えば漫画『ヒカルの碁』でおなじみ「秀策(注5)のコスミ」は江戸時代によく打たれていた手であるが、時が進むにつれ甘いと判断され徐々に姿を消していった。が、AIが「秀策のコスミ」を高く評価したのを皮切りに現代で再び日の目をみることになったのである。もちろん、AIは鮮烈な手も次々と人間に示している。棋士が1日考え続けても思いつかないような深い読みの入った妙手を一瞬にして示すことも往々にしてある。
 

 つまり、「実際の囲碁は人間が想像していた囲碁よりもさらに複雑で深みのあるゲームである」ということをAIは人間に示した。言い換えると、「AIは人間が無意識的に作り出した限界のその先を明らかにした」ということである。今世界中の棋士たちはAIの示す非常に深い読みに裏付けられた無数の手を一手一手丁寧に吟味し、消化していくという気の遠くなるような方法で、今まで以上に難解で、複雑な、限界のその先に挑み始めている。今まで以上に難解で複雑であるからこそ、棋士たちが半ば狂気じみた態度で試行錯誤する姿は、以前よりもはるかに輝きを増したように思える。
 以上のことから、私は棋士の存在意義は無くなったとは思わないし、むしろ、AIの台頭によって棋士がより一層輝くようになったと考えている。
 

 今囲碁界では芝野虎丸名人、中村菫初段など「AI世代」の若手棋士達が日々目覚ましい成長を遂げている。彼、彼女らがこれからどんな碁を見せてくれるのか、一アマチュアとして非常に楽しみである。最後に私が大好きな、囲碁棋士、ではなく将棋棋士羽生善治九段の、棋士ひいては人間の存在意義についての見解を示した言葉を引用してこの文章を締めたい。

(何で人間は将棋を指すんだという問いに対して)

あっ、そうです、まさにその通り。そのことが今問われている。統計的に確率的に精度の高い手を基本的にAIは選んでくるので。じゃあそれをずっと続けていくことが良いことなのか。例えばノーベル賞の発見とかって確率的に言ったら全部低いものばかりじゃないですか。始める段階で1%とか、0.1%とかその可能性にかけて研究をしていくということですよね。だから、そういうものは人間がやるべきものというか。

news zero 10月31日放送

注釈

1. 指導碁 アマがプロにお金を払い、打ってもらう対局のこと。勝ち負けは重視されず上手が下手を囲碁の棋理にかなった手を打てるように導くために行う。LeelaZeroは本気で負かしにくるが、検討機能がついているためどの手が悪かったかを調べることができる。

2. 新型研究 新しいを模索すること。AI登場以前は人間の仕事だったがAI登場後はもっぱらAIがやるようになった。ただ、AIの見せる新型定石はあまりに複雑かつ難解で研究に研究を重ねないと使いこなせず、半端な理解のまま新型定石を使い、予期せぬカウンターを食らいサンドバッグされる人が後を絶たない。

3. LeelaZero 無料でダウンロードできるコンピュータ囲碁ソフト。他の囲碁AIが人間から多少なりとも学んでいるのに対し、LeelaZeroは囲碁の基本的なルールのみをプログラムされ、自己対局を繰り返しその結果に基づいて学習を行われたニューラルネットワークを持つことで強化された。そのため、人間の発想にない斬新な手をたびたび示す。(Wikipedia参照)私の所属する囲碁部にはLeelaZeroがダウンロードされた高性能PCがあり、よく対局の検討に使用されている。

4. 棋譜 互いの対局者が打った手を順番に記入した記録のこと。(Wikipediaより引用)対局後にその対局の棋譜を一人で書ければ一人前と言われる。

5. 秀策 江戸時代の囲碁棋士、本因坊秀策のこと。無敵と呼ばれるほどの棋士であった。また、優れた人格者でもあり江戸でコレラが大流行した時、周囲の制止を振り切り感染者の看病に当たった。が、自身も感染し34歳の若さで死去した。「秀策のコスミ」について、本因坊秀策は「碁盤の広さが変わらぬ限り、このコスミが悪手とされることはあるまい」と語ったとされている。本文にも書かれているが、時が流れるにつれ甘いとされ消えていったこの手はAIによって評価され現代では有力な手とされている。秀策の慧眼、恐るべし。

第2号『マジメが手探り、マジメの手触り』(2020/10/3発行)に掲載。

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月岡耕太郎

大学生。北海道在住。幼少期に碁盤を発見し、自分で遊び始めたことがきっかけで囲碁を始める。それ以来、今でも囲碁を打ち続けている。

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