わたしのたからもの~feel fine since 2000×MAJIME ZINE~ アユミ編 /第2号寄稿vol.4

わたしのたからもの~feel fine since 2000×MAJIME ZINE~ アユミ編 /第2号寄稿vol.4

この記事は紙媒体のZINE第2号に掲載したものです。今回のテーマは「たからもの」。feel fine since 2000のアユミ さんによる寄稿文です。

私は、昔から大事にしている特別なものはあまりなく、大切にしていても時間がたてば飽きて捨ててしまうような究極の飽き性である。だからなのか子ども時代は、大人になるまで根気強く大切に持っているような宝物ボックスを持つことにとても憧れがあったのだ。そんな子ども時代だったけれども、私が昔から現在もなお唯一飽きずに持ち続けているものがある。

それは自分というボックスだ。

このボックスは歳を取るにつれてどんどん中身が多くなっていき、重くなっていく。

ざっくり言うと、これまで出会った人たちやその人たちから吸収した言葉、これまでの経験が入っていて、いわば私の宝物は19年間で出会った人たちからできているのだ。そして私というボックスができているのだと思う。

それを実感した経験が一つある。

私は高校三年生の時に約一年間オーストラリアに留学をした。高校では英語科で一応、英語を勉強していたが、やはり日常生活となると学んでいた言葉だけでは通じなかった。現地の英語は日本で学んでいたものよりも、流行に乗っているという表現が正しいのかはわからないが、新しかった。日本でいうJK言葉に似ていて知らない言葉がたくさんあって、オーストラリアでは毎日自分が赤ちゃんのように感じた。

そして赤ちゃんのように、身近な人が話しているフレーズを日々吸収して真似することを繰り返していたら、気づかない間に英語でも自分の言葉が生まれていたのだ。

人からもらった言葉で自分の言葉が生まれたという経験は、19年間という私のアイデンティティーが生まれる年月と、とても似ているなと思った。最初、「私の宝物」と聞いて、ほとんどの人が頭に浮かぶのはやはり宝物という文字通り、「物」だと思う。

だが私にとっての宝物は、これまで出会った人やその人からもらった言葉、そして経験だ。

宝物ボックスにも色々な形があるように、このボックスにも人それぞれの人生があって形があって、それがアイデンティティーとしてその人というボックスになっている。だからこれからも自分というボックスを大事にして、宝物として持っておきたい。

まだまだこれからの人生、もっとたくさんの人に出会うし、色々なことを経験するだろう。自分がいろんな形に変化していくこれからがとても楽しみだ。

第2号『マジメが手探り、マジメの手触り』(2020/10/3発行)に掲載。

 いいね

アユミ(feel fine since 2000)

大阪住みの大学生。最近ひょんなことから写真にハマり、展示会も開催。instagram:@ayumien_ , @kimagure_film
feel fine since 2000:2000年生まれの大学生、アユミ(イラスト右)と洋子(同左)によるweb magazine site。

RELATED ARTICLES