表現とは、「勝手にしてしまうもの」 /君のメディアvol.3

表現とは、「勝手にしてしまうもの」 /君のメディアvol.3

あなたには、他の誰でもなく、自分自身を発信するためのメディアがありますか?

義務でも仕事でもなく、自分や大切な人のための媒体を持っている同世代(20歳前後)にインタビューする企画、「君のメディア」。

今回は、雑誌、絵画、映像、さまざまなメディアを持つTOKUNです。

最も自分の中でHOTなメディアは「雑誌」。インディペンデント雑誌サークル「KITSCH」

TOKUNの「君のメディア」は雑誌、絵画、映像、さまざまですが、中でも最近力を入れているのは「雑誌」。TOKUNは友人たちと「KITSCH」という雑誌制作サークルを立ち上げました。初期メンバーに日本・中国・韓国という3つの国籍があることが大きな特徴です。「違う国、違う文化的背景で育ってきたけれど、共感できることも多い一方、それぞれ異なる部分も多かった」ことを実感したTOKUN。異なる文化圏の若者が今のグローバル化社会でどのような考え方、価値観を持っているかを伝えたいという思いから、必然的に「若者」「異文化」「国際交流」というキーワードを軸に活動がスタートしました。

インディペンデント雑誌サークル「KITSCH」

年に2回雑誌を刊行することを目的とした団体。

若者の価値観や考え方を多言語で伝えること、多様な自己表現を可能にすることを主な目的としたYA誌を目指す。

Instagramは こちら

―そもそもなぜ「雑誌」という媒体を選んだんですか。

確かに雑誌以外にも発信する媒体はあります。ただ、「雑誌」とは何かを考えてみると、「雑誌」は、文字通り「雑」の「誌」。表現方法も制限されないし、ジャンルもさまざま。自由度が高いから、たくさんの可能性があると思いました。だから、これから雑誌という形で自分たちの考えを綴っていきます。

―「KITSCH」の名前の由来はなんでしょうか。

ドイツ語で、高級の芸術が堕落して、下品な、価値のない、安っぽい芸術になったという意味を表しています。いわゆる“大人たち”が若者の考えを価値のないものと考えることを名前に込めているという側面もあります。

―“kitsch”の例といえば、アメリカの新聞広告が挙げられますね。「情報と芸術とは紙一重」。「KITSCH」という団体名は、その点も指摘しているように感じられます。

価値ある情報とは 情報過多の時代に

―KITSCHの特徴として、多言語を使えることが挙げられます。KITSCHでは用いる言語についてどういう方針を取っていますか。

複数の言語に翻訳するかどうか、一つの言語に統一するかどうか、たくさん議論を重ねました。最終的には、3つの言語には翻訳しない、ということに落ち着きました。そうすると、中国語で書いた私の文章を、読むことができない人もいるでしょう。ですが、考えを表現するとき、自分の言語で表現する方が他の言語で表現するより自分の意味を伝えやすいし、もっと自由に創作できると考えました。

今のSNSには、たくさんのinformationがあります。でも、情報量が多すぎて、すごく頭が痛い。全てが「見てください!見てください!」という雰囲気を出しているように感じます。「見せたい」というところに焦点を当てすぎではないでしょうか。インターネットやSNSには、情報が溢れるほどあって、疲れてしまう。

その時考えたのは、戦時中、中国では文人たちが雑誌を作っていた、ということです。当時の情報は、知識人たちが表現するものだったので、その内容は知識がある人でなければ読めず、読者に対して要求するレベルが高かった。でもそういうものが逆にすごく価値があった、地位が高かったとも言えます。もしかしたら今の時代、それも面白いかもしれない、と思ったんです。翻訳するかどうかを考えるときもそれを思いました。もし全員にとって読みやすいものを作ったとすれば、逆にその価値が弱まるのではないか、と。

それで結局、翻訳はしないということなんです。それは「広げることはしない」という意味ではありません。多くの人に見てほしい気持ちはあるのだけれど、翻訳したら元の書き手の思いを完全に伝えられるかわからない。それならば翻訳しないでおこうと。そうすれば情報は、受動的ではなく主体的に情報を求めてくる人だけに届きます。リーチしにくいことが、かえって読者の内容への着目の深さを深めることができるのではないかと考えています。

―若者の意見を発信することにこだわりがあるのはなぜですか。

ニュースを見たら自分の意見を伝えたくなる。でも知識や経験が足りないので、よく無力に感じる。それは知識不足によるものではないと思います。“大人”の考えによって非難される、黙殺される、無視される。そういう社会的風潮によるものではないですかね。かつて世界を変える革命を主導したのは、大学生などの若い世代でした。でも今は若者の声が重視されない。若者の意見が常に正しいとは限りませんが、それでも今の社会にとって価値はあると思います。否定ではなく、着目した方がいい。

―情報をいくらでも発信でき、いくらでも受け取れる現代、TOKUNはどう表現したいと考えていますか。

Instagramやtiktokのように自動的に流れてくるような情報として発信したいわけではない。「誰でも見やすく」ではなく、「自ら主体的に情報を知りたいときにこそ見られる」という発信方法を用いたいですね。

学び、表現する。芸術に対する解釈とは

―大学で芸術学を専攻しているTOKUN。日々芸術と向き合っているんですよね。

絵画に対する自分の解釈。それはむずかしい。毎日芸術に対しての考えが変わるんです。一つの作品に対して、解釈は多様であったほうがいいと思う。正解はないと考えています。

―芸術を学ぶということは、どういうことですか。

学ぶ目的は、芸術を「理解」すること。作家の意図を考えることがメインになってはいけないと思っています。

―TOKUNは美術を勉強しながら、自ら表現をしています。自分で表現する際、「これを伝えたい」という意図や意味はないのですか?

作品を目的なしに作ることはできません。作るときには意図があるけれど、作り出した後には作品は独立したものになっています。子どもを例にすると考えやすいでしょう。子どもを持った親は、子どもにとって何だろう、ということ。子どもを産んだ後には、子どもは親の所属品じゃなくなる。なぜこの子どもを作ったかという親の意図は、その子とは関係ない。絵を描くときも同じです。作品を作り出した後に、私や私の意図とは無関係になると思っています。

表現は、アイディアの出口

―そもそも何のために絵を描くなど表現しようとするのですか。そのモチベーションの源泉には何があるのですか。

表現欲があるから。雑誌もその一環です。頭の中の抽象的なものを言葉にしたら、友達にしか言えない。友達に言っても、おかしいと思われることもある。自分の考えの出口を探す感じで、作品にアイディアを落とし込んでいます。

―その手段は、絵だったり、雑誌だったり、どんなものでも良いのですね。

その通りです。

―表現欲というのは、もはや抑えが効かないものなのですか。そもそも、表現することに、怖さはないんですか。

今、怖さは感じていないですね。表現しないといけないというより、表現しないと「もどかしい」から動いている。無意識に作ることが多いですね。これを作ろうと思ってやるのではなく、頭の中にあるものをそのまま出した、という場合が多いんです。いいアイディアが浮かんだら、作ったら面白いではなく、作らなかったら悲しい、という感じ。

―生粋の表現者なんですね。

そうですね。自分の欲求や自分のイメージを再現する能力への期待に従って、表現をしてしまうのだと思います。

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TOKUN

中国出身。京都の留学生。2018年来日。
同志社大学文学部美学芸術学科
興味:絵を描くこと。ランニング。雑誌制作(サークル)。映像制作。

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